「教わる」のか「学ぶ」のか。「学びの場」としてのSΨW。 ゲーム・インプロ 3月20日

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「教わる」には「教師役」が必要。「学ぶ」には「場」が必要。

こんにちわ。井上です。
今年度ももうすぐ終わり。そこで今日は軽くこのスクールについての自分の考えを書いてみたいと思います。

さて、上のような意味でいえばストーンウイングスという所は圧倒的に「学びの場」の方であると思っています。

学校とは教師が与えてくれる教えを生徒が受け取って吸収するのがメインだ。教えてもらう場所だ。というイメージでここに来ると、なんだか物足りないような気になるのではないかと思います。

「教える」「教わる」関係はここでは考えないほうが良さそうです。

ストーンウィングスは俳優訓練のためのメニューを用意はしてくれますが、そこから何を学び取るかは自分の責任です。

自分が自由に遊ぶことができるエクササイズやゲーム、インプロなどを通じて、一体何が起こるのか。
自分が何を感じ、何を考え、どう動いたのか。
何故そうなったのか。他の可能性はなかったのか。

そういった中から自分で自分のために役に立つ情報を受け取っていく事が出来る場所、と考えると、このスクールはその人一人一人にとって凄く意味があるものになるのかなと思います。

また、自分がどんな気づきを得たのか、何を学び取ったのか、そういうことを仲間とシェアすることで更に学びは促進し、成長につながるでしょう。

そういう「学びの場」として有効なのがストーンウィングスなんだと思います。

一スクール生の感想でした。

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さて、そういうわけで20日のゲームインプロクラスの話です。

ゲームは(名前忘れたけど)「目をつぶって相手の体に触り、そのポーズを真似する」というものでした。
これは割とすんなり出来てしまって、逆に何が良くてそうなったのか分からないくらいでした(笑)

この日面白かったのはインプロの方ですね。
やったのはペアのインプロコンフリクトでした。

設定は、
A・弁護士⇒ 相手に罪を認めさせて少しでも刑を軽くしたい。このまま真っ向から裁判で争っても不利。
B・被告⇒ 自分は無罪だと主張している。
というものでした。
Bは既に何らかの罪で訴えられたり逮捕されたりしているわけです。

このインプロをやったときに起こった事を簡単に言うと、
「あるプランを持ってインプロに臨んだが、一回目はそのプランを邪魔する自分の中のある思い込み(信念・習慣・常識や固定観念と言ってもいい)に気づかず(意識せず)、それに流されてしまい失敗した。
一回目のインプロの後に自分のプランを邪魔した思い込みに気づき、その考えを抑制するように二回目のインプロをやったら役の目的を達成できた」
というものです。

以下に詳しくこの時起こったことの流れを書いてみたいと思います。

一回目に弁護士をやる時
「相手に罪を認めさせるには、まず相手の信頼を得て話を引き出しやすい状態にすることが大事だろう。まずは相手が罪に問われている状況に同情して友好的に接しよう。」
と考えてインプロを始めました。

ところが、いざ始めてみると、どんどん相手との関係に亀裂が入り、最後は喧嘩別れのような状態に。

相手が最初から非常に不機嫌、そもそもこちらとの確執の種を持っていた等、喧嘩になりうる要素が多くあったというのはあるのですが、それでもなんとかする事は出来たはずでした。
ところがこのインプロでは、それらに対してこちらが真っ向から対抗してしまったり、相手の要求に対してなかなか対応しようという風にならなかったり、最初に自分が意図した方向とはかけ離れた方向に進んでいきました。

一回目終わって振り返ってみると、「相手に罪を認めさせる」という目的に無意識のうちにずっと執着して焦ってしまい、それが相手の望みを無視してしまう事になった主な要因だと分かりました。
これではエンドゲイニングです。
(「エンドゲイニング」とは簡潔に言えば「結果を求めるあまり必要な過程をスルーしてしまう状態」の事です。多くの人が多くの場面でこれに縛られています。ネットで検索すれば詳しい話が出てきます。)

「罪を認めさせる」という目的に焦点を当てていてはエンドゲイニングに陥るから、目的を達成するためのプロセスとして「とにかく最初は信頼を得るように」と考え、「罪を認めさせる」意識は抑制しようと考えていました。
・・・そのはず、そのつもりだったのですが結局は「相手に罪を認めさせる」という目的を焦ってしまっていたのです。
「エンドゲイニング」の事も知っていたし、それを抑制しようともしていたのに上手くいきませんでした!

はて、それではこの時自分に一体何が起こっていたのだろう?何が結果を焦らせる結果になったのだろう?
そう考えていて気づきました。

今回のインプロに望むときに「このインプロの時間内に役の目的を達成しなくては!」という考えが無意識にあったのです。
これに無自覚なままシーンに臨んだがために、結局はその「役の目的」である「相手に罪を認めさせる」という考えが頭から離れなかったのだと分かりました。

弁護士という「役」以前に、弁護士を演じる「役者」としてエンドゲイニングに陥っていたのです。

そこで、2回目の弁護士役では、「相手を信頼し、ありのままを受け止める。無実だと信じる」という風に考えて臨みました。
1回目の時とそんなに変わらないようですが、「時間内に目的達成しなくては」という考えに気づいた事で心持ちが変わり「相手に罪を認めさせる」ことが重要ではなくなりました。

するとシーンの流れが一回目と全く違ったものになり、最終的に「相手に罪を認めさせる」事ができたのです!
わずか10分少々の事でした。

1回目とは状況の設定が違うものだったので一概に比べられるものではありません。
相手は別に不機嫌でもなかったし、こちらに対して思うところもなかったでしょう。

それでも、最初に演じた弁護士のままでは何十分かかっても目的の達成は無理だったに違いないと考えます。
相手と信頼関係を築いてただ話を引き出す、そんなことはできなかったでしょう。

一回目の弁護士のままでは「相手に罪を認めさせる」目的に縛られている、つまり「相手が罪を犯している前提」なのですから、まず自分が相手の事を信頼していないのです。それで相手から信頼を得られるわけもありませんからね。

今回のインプロはいい気づきがありました。
そしてその気づきを元に実験をして、その結果も非常に面白いものでした。

ちなみに、「エンドゲイニング」や、自分の中の邪魔をしている考えを「抑制」する等、こういった考え方は演技テクニック的なものというよりは「アレクサンダーテクニーク」によるものです。
私はストーンウィングスとは別にアレクサンダーテクニークの学校にも通っているので、それ生かしてやってみたわけです。
「場」を生かして「学び」を得たのです。

今年度もあとわずか。桜の季節が待ち遠しいです。