観劇レポ

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名古屋の劇団さんの東京公演へ、招待メールをもらったので行ってきました。

名古屋の演劇祭とか、劇作家協会新人戯曲賞とか、若手演出家コンクールとかで色々と賞を獲っているということなので、どんなものだろうと観に行ってきました。
いいものはいいという人間なので、すんごい良かったらどうしようと思いながら。

……

う~ん。小劇場ですね。
観ている二時間の間に、色々と小劇場演劇について考えてしまいました。

俳優の技術とか真に迫る演技力とか必要ないんですよ。
リアリティーがないから。
日本にこういう作品が多いのって、技術と経験と知識が足りないから、リアリティーある舞台が創れないぶん、表面的な楽しませる演劇が盛んになるのかなぁと思いました。

そしてこういう作品に賞を与える日本演劇ってなんだろう?と思いました。
受賞した作品は全然違うのかもしれませんけど。たぶんスタイルは似ているでしょう。

世界に持っていったら、ぽか~んとすると思うんですよね。

本物を知らないし、本物を創れないから、遊びのような演劇が普及するのかなと思います。

dramaとしては、人間のドラマに乏しく、「人間のドラマを擬似的に遊んでいる」という意味で、playという言葉が当てはまるなぁと思いました。
ご存じのようにplayには演劇の意味がありますが、人間ドラマそのものではなく、例えるならアメーバピグのような仮想空間の中で遊んでいる感じ。

観客もこの仮想空間の中での楽しみ方をよく知っているようです。
かなり笑いは取れていました。

日本の演劇文化の多様性の一つとして、全然あっていいんですけど、「擬似的な仮想空間を出て、もっとリアルな劇空間を創ったら?」と思ってしまうんです。
少なくとも、自分は、リアルな演劇を選択します。

「TVゲームが楽しいのはわかるけれど、もっと実生活の人生を楽しんだら?」というのと、ちょっと似ています。

演劇は虚構であり仮想空間だけど、世界レベルでは実生活以上のリアリティーを舞台に乗せようとします。だからこそ、俳優はものすごく技術と経験が必要になります。

TVゲームの中では、キャラクターができていて、それを受け入れてくれるので、リアリティーはあまり必要ありません。
これと同じように、劇団の役者さんたちは、キャラクターを売っており、キャラクターとして演技をしています。

リピート客は、演技力に惹かれるのではなく、役者のキャラクターに惹かれます。

たぶん、劇団運営としては、このほうがいいんでしょうね。
舞台のレベルは低くても、役者のキャラクター力で、動員数を増やしているところはたくさんあり、この逆は実はあまりないのかもしれません。

劇団運営としては、とても立派だと思いました。
広告宣伝や美術・照明などのスタッフワーク。
おそらく劇団員たちが、おのおのアイディアを出して、どんどん形にして、楽しく芝居をやっていることでしょう。

こういったところは我々に欠けている要素なので、動員を増やすのであれば、もっと参考にしないといけませんね。

小劇場的な、笑いを取る小ネタ芝居でも、脚本をうまくまとめたり、考えさせる要素を入れたり、うまく盛り上げると、なんだか立派に見えてくるんですが、そのような芝居を続けていて果たして意味があるのかなぁと思います。結局同じような笑いを取る小ネタと、役者のキャラクターばかり。ゲームにはまっているときは楽しいけれどゲームから離れると、もうなにも残らないような、そんな気がします。

人間を真剣に描こうとするならば、いつまでも不滅だと思うんですよね。

だから、やっぱり自分は自分のスタイルで、
日本演劇界のいうなればゲーム中毒を醒まさせるくらいの気持ちで
良いものを創っていかないといけないなと思いました。

ぼくは高校演劇のときに、第三舞台とかの小劇場演劇に軽くはまりましたけど、すぐに中身のなさから飽きてしまいました。客ウケはいいんですけどね。

「もっと中身のある芝居を創ったほうがいい」というぼくに、
同じ演劇部員の同級生は「でも、これが日本の主流だから、違うことをやるのは厳しい」といいました。

そして、ぼくは、イギリスに行ったとき、
自分の創りたかった舞台が最高の形でそこにあるのを知ったのです。

そのとき、自分が目指していることが間違ってはいないと確信しました。

だからこそ、みんなにも世界の舞台を観てほしいと思うのです。
(だけど、DVD鑑賞会にあんまり人が集まらないという……)

別役