Ivanov
At the NT Cottesloe Theatre on 10th October 2002
 チェーホフの初期の作品「イアーノフ」は、最初に上演された記念すべき一作。1880年代に「プラトーノフ」という作品を彼は書いたが、その作品がマールイ劇場によってかつて上演されたのを観て、非常に感動した覚えがある。チェーホフは初期の方が、荒々しくて、熱を持っている。
 「ロシアの倦怠」これは変わらぬ背景としてある。「貴族の虚栄」これも「桜の園」と同じだ。「ピストル自殺」これも他の作品と同じである。チェーホフの作品はヴァリエーションこそないが、人間を多彩に深く流動的に描いている点で、いつの世も愛されている。
 演出のケイティ・ミッチェルは、コテスロー劇場という狭い空間に、チェーホフ初期の溢れるエネルギーを閉じこめた。観客は二方向から観る。場面は部屋の中で、一方は外、一方は部屋の中へと続いている。そして観客との敷居は緞帳ではなく、電動式の白い壁である。この機械的な境目は、我々の日常世界と劇世界との時間的・空間的な境を明瞭にさせるためだろう。劇世界には、リアリティーを増すために、しばしばハエの羽音が聞こえる(これはいい効果とは言い切れない)。ミッチェルは、かなり真正面からこの作品を取り組んだといえる。だからチェーホフの良さはよく出ていた。特に、主人公ニコライ・イアーノフが精神的に追いつめられ、ピストル自殺に至るまでの過程が実に納得できた。
A Streetcar Named Desire
At the NT Lyttelton Theatre on 11th October 2002
 いわずとしれたテネシー・ウィリアムズの名作「欲望という名の電車」。これをトレヴァー・ナンが演出し、主演のBranche役には「ハムレット」や「101」など映画でも有名なGlenn Closeをすえる。正直、グレン・クロースの年齢とステラは合わない。客を呼ぶための起用かと疑問に思っていた。舞台が始まっても、彼女のやや大げさな演技に疑問は拭えなかった。しかし、舞台が進むうちに、クロースの年齢に合わせた新しいブランチを創っていることに気づき、徐々に観客を捉えていく。結局、年はいっているのに、男性の前で無防備の姿を見せたり、お洒落にはしゃいだり、男性というものを理解していなかったり、彼女は頭が悪いのである。だから、イライラさせる。それが、スタンリーの暴行につながる。ブランチが魅力的だったから暴行に走るのではなく、イライラが極地に来て暴行に走ったというわけだ。なるほどと思った。これで、欠点に思えた点はなくなり、トレヴァー・ナンは非常に完成度の高い素晴らしい舞台に仕上げたという感想になる。
 一緒に観た、「The Coast of Utopia」もそうだが、回り舞台を使っており、この作品において実に素晴らしい効果を出していた。回り舞台をうまく使えばこれほどいい効果が出るのかと思った。舞台装置はとてもよかった。三階建てくらいのアパートの螺旋階段を中心に、一階にはスタンリーとステラが住んでいるダイニングと寝室、浴室がある。これらの場所が人物の移動に従って、回り舞台が回転し、まるで映像のように場面が転換されるのだ。
 俳優も素晴らしかった。スタンリー役のIain Glenはゴリラのような筋肉と動きながらセクシーさもあり、この役にピッタリであった。
The Coast of Utopia -Voyage-Shipwreck-Salvage
At the NT Olivier Theatre on 12th October 2002
 スケールの大きな作品である。Tom Stoppardの三部作、トータルで実に9時間近い物語である。これを一日で三作品観た。やる方も大変だが、観る方も大変だ。演出は、トレヴァー・ナン。トレヴァー・ナンはNTの芸術監督を辞任するが、それまでにたくさんやらそうというのか。この年、かなり多くの作品を抱えていた。この三部作は、その忙しい中、かなり骨が折れたことだろう。
 ロシアの革命を中心に、史実に基づき、壮大なロマンを1833年から1865年まで描いている。中心人物の生涯を、若き革命の頃から、挫折、晩年の家庭的な平和の頃まで綴っている。圧巻なのはそのシーン数だ。全三作品で50シーン以上あると思われる。大変なのは舞台転換だ。物語はロンドンやジェノバやモスクワなど様々で、膨大なシーン数だから、とても処理出来るものではない。そこで、オリヴィエの背後に巨大なスクリーンを緩やかな半円で置き、そこにCGや写真などで背景をつけ、回り舞台を使いながら必要な家具等のみを置いて表していた。スクリーンは三枚に分かれており、前後に多少移動する。そして役者が通れるドアがいくつかある。このスクリーンと回り舞台を併用した使い方は、飛び抜けていいとはいえない。やはりスクリーンだから立体感にかけるし、常に視覚する空間が一定だから、広い場面ではいいが、狭い場面では逆効果だ。
 トレヴァー・ナンは仕事の重ねすぎでかなり疲れていたと想像する。しかし、この大問題作をよく舞台化できたと感心する。正直、素晴らしい作品ではない。三部作という巨大さは、疲れと退屈さを生んでしまっている。しかし、歴史に残るプロジェクトとなるだろう。