演劇と相対性理論

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「ANGEL」を上演したときに、真理や人生哲学や癒しの言葉が演劇の中で、観客に計り知れない影響を与えることを知った。

ただ執筆したときに、悩んでいたのは、演劇とは「葛藤」が根源にあり、人生の鏡のように解決できない悩みや問題も映し出すということだ。

自分は、演劇でそれらを問いかける必要がなくなった。
真理を悟ったから。
葛藤を消す力を知ったから。

だから、そういった葛藤が非常に書きにくくなった。
演劇とは人生の鏡なので、この世が未成熟であれば、演劇もまた未成熟な世界を映す。
しかし、そこには美の煌めきがある。美の煌めきはどこにあるのか?

昨日、FEATHER IMPRO ACT PROJECTでの「FPワークショップ」が行われた。
これはいってみればビジネス向けの俳優トレーニング。

インプロを準備しているとき、「インプロ・コンフリクト」はどれだけビジネスの人に役に立つのだろうと思った。とあるアメリカ式インプロ団体は「YES」ばかりいって、やみくもに受け入れるゲームを行う。

しかし、考えたら、インプロ・コンフリクトは様々な立場になって物事を見ることで、より広汎な視野が身につくということを知る。そして、自分や相手のメリット・目的が見えてくるし、それらを主観的にではなく、客観的に捉えることが出来ると思った。
その点で、インプロ・コンフリクトは、他のインプロ団体もしくは英語でいうImprovとは違い、もっと役に立つと再確認した。

さて、話は戻るが、相反するものというのは、実は無駄ではなく役に立つということだ。

この世は相対性。
だから、善は、悪という概念があって、善がわかる。
善しかなければ善はわからない。
白も黒や他の色があるから白が分かる。
白しかなければ、白がなんなのかわからない。
金持ちも貧乏人がいるから、金持ちを実感できる。

この世は、相対性の中で進化・成長している。

だから、演劇の中で、真理を表現するにも、相対性を利用しなければならない。
真理でないものがわからないければ、真理がわからない。
美を表現するにも、醜いものを利用しなければならない。
美でないものがわからなければ、美がわからないのだ。

だから、演劇の中での美の発見は、より心を打つ。
それが不自然でなく、リアリティーを伴えば尚更だ。
美は幻想の産物ではなく、幻想の中の真実(リアリティー)にあるのだから。

だから葛藤は使える。
「ANGEL」は、響や大竜、未希といった、悩める葛藤人物がいなければ成立しなかった。
葛藤を作ってあげれば、結論は生きるし、結論を示さなくても観客はおのおの結論を想像する。

だから、それらを利用すればいいのだと思った。

それならば、自分はこれからも作品を書ける。

演劇はなんと素晴らしい芸術だろう。
演劇と精神性(スピリッチュアリティ)は、やはり結びつく。
ここでもシェイクスピアの偉大さに気づくこととなる。

そんなシェイクスピアクラスが、5/9から開講!
(と、突然宣伝?)
2010年度は5月のみしか行いません。受講希望者はoffice@stone-wings.comまで。

別役慎司