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楽しむ&没頭で突っ切る

天からの声

何度か、類い希なチャネリング能力を持つぼくのクライアントの話をしています。
その人は占い師とか、怪しい商売の人じゃありませんよ。
ぼくにお金を払って、毎月相談をしている一般人です。

本当はその人の悩みを解決させることが目的なので、その人も自分が質問をしたいのですが、
天からの声がしきりにぼくに伝言を伝えようとしていたそうで、
曖昧な主観が入るのは承知で伝えてくれました。

で、そんな声は、「一斉に引き上げていきました」といいます。

ぼくの悩みが解決されたからです。

天は、ぼくの活躍を待ち望んでいるといいます。

「アーサー・サヴィル」が終わって、モチベーションを見いだせなく、
もう公演に疲れたとき、天界から叱咤激励の声が降りてきたという感じです。

 

ぼく自身も、これまで抱えていたものが明瞭になり、
こうすればいいというのがわかったので、とてもスッキリしました。

ぼくのクライアントは、
「先生の願望の実現は現時点では決定されています。
天の声もその調子といっています。」
とメールを送ってくれました。

実は2~3、とても面白い進展があるのですが、
決定していないことをやみくもに話すことはできないのでやめておきます。

かなり、今楽しくなっています。

次回公演は9月に行う予定です。
それは、かなり楽しいものになるでしょう。


六枚の翼が自由になる時

六枚の翼が自由になる時

類い希なチャネリング能力を持つぼくのクライアントが
立て続けにメッセージを受け取って、送ってきます。
(ちなみにその人は、田舎に暮らしていて、ぼくのことを何にも知りません。
でも、いうことはことごとく合致します)

大きなメッセージは2つ。

「思考を止めろ」

「プライドを捨てろ」

ということです。
いずれも、ぼくが考えていたことと一緒です。

 

「プライドを捨てる。これがキーポイントだ。
お前は、過去に素晴らしい作品を生み出しながらも プライドが高く、人々に歓迎されなかった。
孤独でさみしい人生を送った。
だから、今度は人々から愛される作品を 作りたい。
人々とともに楽しく創作活動をしたいと 思っている。
誇りをもつことは良いことだ。
だが、独りよがりになったり、独善的では良くない。
お前のそのプライドが世間と垣根を作り、受け入れがたく しているのだ。
そこを理解するまで、同じことが何回も起こる。
人との垣根を取り去ることがお前の望みの一つであり、 幸せなのだ。」

 

これがメッセージです。

プライドが高かったことで、人々との間に垣根を築き、自分を誇示し、他者を下に見、
自分と人々がまったく異なる波動になったことで、観客が入らなかったり、認められなかったりしたのかもしれません。

ぼくは20代前半の時は、自ら「プライドという飯を食っている」「蓬莱山よりプライドが高い」と自認していました。
奇しくもアーサー・サヴィル状態です。
ぼくの場合は、人を殺すのではなく、自分を殺さなければ苦しみから逃れられない状態になったのです。

「アーサー・サヴィルの罪と加護」が終わったタイミングで、こんなにも明るみになったのは偶然ではないでしょう。
ぼくの深層心理がずっとそこに向かっていたのではないでしょうか。
まさに魂からの呼び声だったに違いありません。

 

20代前半のときにプライドを捨てて、何の評価も何の結果も期待せずに、
人々と交わり、楽しく創作が出来たら全く違った人生だったことでしょう。
でも、思うに、それは想像できません。180度違う気がします。

180度転回するまでに、ものすごい距離を歩いてきました。
石の翼を引きずりながら。

 

一ヶ月後には40歳になります。
20年無駄にしたとは思いません。
その過程で得たものは計り知れないですから。

ようやく、翼の石化が解けるのだろうか……?
六枚の翼が羽ばたくときが来るのだろうか……?

 

そういえば思い出しました。
六枚の翼を初めて感じたときは、イギリスに留学中でした。
まったく謙虚に、純粋に、イギリスの演劇から多くを吸収し、創作意欲に燃えていたときです。

留学もあと数ヶ月と差し迫った2000年に、STONEψWINGSというものを創りましたが、
そのときに「石化した翼」という名称をつけているんですね。
重い道のりを予期していたかのように。(もっとずっと早く石化が解けると思ってました)

 

前回のブログで、

「日本一だと自分が認めるレベルを目指す」
「矮小の自分からの脱却と本当の自分の維持」

というのをテーマに掲げました。 
まだ、実感としてつかめていませんが、本当の別役慎司になれる最後の機会だと思っています。

全然こんなものではないぼく自身を、本来あるべき姿を、
見せられるときが来ると思います。


これが日本一だというレベルを目指す

オーストラリア フィリップ島

いろいろどっぷり考えた末に、
本当の自分でいることが、場所や時間に関係なく、楽しんでいられることだと思いました。

矮小な自分でいることが、エネルギーの低下や不完全燃焼に繋がってしまい、
それが人生の引き寄せにも大きく関係しているのです。

評価されたい、認められたい、というのは誰の心にもあるでしょうが、
プライドの高い自分には、評価されていないことが苦しみになります。

しかし、人の価値観は千差万別です。
一般に評価の高そうな人でも陰では無数の批判者がいるものです。
世界一賞賛を受けるアメリカの大統領は、世界一罵倒される人でもあります。
他人の評価でしか、自分を測れないのでは、上のステージに登っていけません。
観客だって、いつの時代でも、ろくでもない舞台にたくさんの客が入り、素晴らしい舞台に客が少ないということはよくあることです。


ぼくは、劇作家・演出家・俳優・俳優訓練トレーナー・研修講師・会社代表・引き寄せの法則マスター
など様々な肩書きを持っています。

形ある名を成して、自分の存在を認めたいという欲求からなのでしょう。
今では、肩書きは全然こだわらなくなりましたが、
「すごい」と思われたいという欲求はかつて……いや、今もかな、強いといえます。

これがホントに無駄だなぁと思います。
これが自分を矮小にさせる。
現実という尺度でしか、気まぐれの他人の評価でしか、測れなくなってくる。

そもそも測る必要すらないのに。

結論として、

日本一だと認められることを目指すのではなく、
日本一だと自分が認めるレベルを目指すのが一番。

ということになりました。

というか、自分が日本一だと信じてここまで来たので、
周りがそんな風に認めてくれないことに、大きなジレンマを感じて、もがいていたのです。
だから証明する結果を求めてしまっていたし、
巨大なギャップに、どうすることもできなかったのです。

そうして、才能が錆び付き、日本一のパフォーマンスが出来なくなっていました。

他人の評価は関係ない。
自分が「これが本当の自分だ」といえる状態を常に目指していきたいですね。

矮小な自分からの脱却と、本当の自分で居続けること。

いきなり、大きなことは引き寄せられてこないでしょうが、
小さなことだらけでも、本当の自分を維持しながら毎日を送ることはできるはずだし、
小さな舞台でも、本当の自分の力を発揮することはできるはずです。

そして、それが真の意味で楽しいと思える生活となることでしょう。


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