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アメリカ演技の悲劇とイヴァナ・チャバックが成功した理由

前回のブログで紹介しましたイヴァナ・チャバックの演技本
イヴァナ・チャバックの演技術:俳優力で勝つための12段階式メソッド ですが、
やたらと事例が多いので、その辺はすっ飛ばしながら全体を読みました。
感じたこと、理解したことをまとめておきたいと思います。

ほとんどスタニスラフスキーである

内容のほとんどはスタニスラフスキーから来ています。
「全体の目的」とか名称は微妙に変えていますが(これは「超目標」)、ほぼそうです。
その点で、スタニスラフスキーの応用としてここまで成功できるのだなという驚きがあります。
また「ビートとアクション」というのは、ポール・パーカーが教えていたものと同じでした。

リー・ストラスバーグ的な感情と個人体験の重視

リー・ストラスバーグがスタニスラフスキーの感情の記憶(Emotion Memory)をAffective Memoryと
言葉を少しオリジナルにして応用したことと、同じ事をチャバックもやっています。
そして、使い方はスタニスラフスキーのオリジナルから離れ、過度に個人的であり、感情体験を重視しています

乱暴な応用

スタニスラフスキーは個人の感情体験を重視しましたが、同時に作者の描いた登場人物に対しても
大変リスペクトして、役と個人を有機的に結びつけるアプローチを提唱しました。
チャバックは、個人的な体験を乱暴なまでに応用し、せっかくの登場人物を塗りつぶします。
そのほうが強力でリアルな感情が生まれるという理由で。

もちろん、他人に起こったことよりも、自分に起こったことの方がリアルで強力なので、
ぼくも「代替 substitute」を教えますが、部分的にです。基本的には、その劇世界を生きることが大切です。
しかし、チャバック流では、古典作品であっても、現代の感覚で、その人個人の人生経験の記憶
を使って埋めていきます。だからシェイクスピアをやりながら、個人情報の漏洩やマックのアルバイト
について想像することもありえます。

ザッツ・アメリカ!

ストラスバーグがアメリカの俳優の演技を駄目にしました。スタニスラフスキーのごく一部を利用し、
俳優の人生経験と感情体験を外に向けて解放させました。その流れをチャバックは組んでいます。
ストラスバーグの俳優たちが映画で活躍したように、この芸術とはいえない手法は映画に合うようです。
チャバックは「演技は芸術である」といっていますが、ちょっと芸術を取り違えています。
観客の心をつかみ、ゆさぶるものであれば、殺人やレイプ、薬物、虐待などアメリカならではの負の側面
を外に解放することも芸術だと考えていて、芸術が持つ自然な美しさというものはありません

反吐が出るほどアメリカン

この本を読んでいて驚くのが、アメリカ社会の闇の部分です。感情の戦場です。
例えばオーディション対策では、審査員と最も変態的なSEXをしているところを想像しなさい
という記載があります。すごいですよ。ちょっと抵抗感を感じます。

アメリカという感情の戦場で、傷つけられ、死にかけた感情、行き場のないエネルギーを、
演技にぶつけるのがいってみればチャバック流の勝利の演技術です。
トラウマを跳ね返し、報復するということを演技を通して行うのです。
だから、パワフルで、人を惹きつけるのでしょう。

人を惹きつけるといっても、芸術的にではありません。
駅のホームで、わめき散らしている人がいたらつい注目してしまうのと同じです。
道端で、裸で歩いている人がいたらつい注目してしまうのと同じです。

映画となぜマッチするのか

なぜ、映画の世界ではこうしたことが魅力的な演技に見えてしまうのでしょうか?
考えてみると、舞台という「生」とは異なり、映画は常に自分が守られています
スクリーンを隔てて、安全な場所に自分がいるので、遠慮なく観ることが出来ます。
そして、観ているのは実は自分の心の投影です
映画も演劇も、人生の縮図です。自分自身とたくさん共通点が見つかります。
だから、自分の心の投影を安全な場所で観ることが出来ます。

道端に裸の人がいたら、目をそらすけれど、スクリーンであればガン見します。
人は心の中に様々な荒れ狂う感情を持っています。
虐げられた記憶や、鬱憤、性的興味、パワーなど、それらを観たいと思っています。
しかも激しく。映画館では守られているので、激しいものを楽しめます。

そういった理由で、映画の場合、真に芸術的でなくてもいいのです。
芸術的すぎると、静かで退屈にすら感じてしまいます。
ハリウッド映画のような刺激を世界中が求めているのです。

日本でも有効だが、ぼくは好きではない

チャバックのこうしたメソッドを、「これがスタニスラフスキーです」といっていれば
反論しますが、彼女はなにもいわず、勝つために応用しているだけです。
これらのチャバック流は映画の世界で、有効だといえます。映画に合っています。
そして、何よりアメリカという社会と人に合っています。

日本はアメリカと異なる社会ですが、負の感情は人生経験で貯えているので、
日本の俳優も応用は出来ます。しかし、不倫や虐待、ドラッグ、殺人などをより日常的に
肌で感じているアメリカ人と比べると差があります。また、抵抗感があります。

イヴァナ・チャバックのメソッド。ぼくは好きではありません。
ビジネスで勝つためには大衆にインパクトを与えないといけないといっているのと同じ感じで、
有名になり、億万長者になるためには有効だけど、芸術家としての心の達成感にはならないでしょう。
理想じゃ飯は食えない、といわれるかもしれませんが。

ストラスバーグの演技メソッドがアメリカの俳優のレベルを落としたとかつて嘆いた
Richard Hornbyの「The End of Acting: A Radical View (Applause Acting Series) (演技の終末)」と同じ気持ちになります。
はっきりいってイギリスの俳優のほうがアメリカの俳優よりレベルが高いし、
感情表現も洗練されています。ただ、チャバック流は感情の戦場で生き抜いてきた俳優たち
をエンターテインメント業界で勝たせることにかけては一流なのです。

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