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六枚の翼が自由になる時

類い希なチャネリング能力を持つぼくのクライアントが
立て続けにメッセージを受け取って、送ってきます。
(ちなみにその人は、田舎に暮らしていて、ぼくのことを何にも知りません。
でも、いうことはことごとく合致します)

大きなメッセージは2つ。

「思考を止めろ」

「プライドを捨てろ」

ということです。
いずれも、ぼくが考えていたことと一緒です。

 

「プライドを捨てる。これがキーポイントだ。
お前は、過去に素晴らしい作品を生み出しながらも プライドが高く、人々に歓迎されなかった。
孤独でさみしい人生を送った。
だから、今度は人々から愛される作品を 作りたい。
人々とともに楽しく創作活動をしたいと 思っている。
誇りをもつことは良いことだ。
だが、独りよがりになったり、独善的では良くない。
お前のそのプライドが世間と垣根を作り、受け入れがたく しているのだ。
そこを理解するまで、同じことが何回も起こる。
人との垣根を取り去ることがお前の望みの一つであり、 幸せなのだ。」

 

これがメッセージです。

プライドが高かったことで、人々との間に垣根を築き、自分を誇示し、他者を下に見、
自分と人々がまったく異なる波動になったことで、観客が入らなかったり、認められなかったりしたのかもしれません。

ぼくは20代前半の時は、自ら「プライドという飯を食っている」「蓬莱山よりプライドが高い」と自認していました。
奇しくもアーサー・サヴィル状態です。
ぼくの場合は、人を殺すのではなく、自分を殺さなければ苦しみから逃れられない状態になったのです。

「アーサー・サヴィルの罪と加護」が終わったタイミングで、こんなにも明るみになったのは偶然ではないでしょう。
ぼくの深層心理がずっとそこに向かっていたのではないでしょうか。
まさに魂からの呼び声だったに違いありません。

 

20代前半のときにプライドを捨てて、何の評価も何の結果も期待せずに、
人々と交わり、楽しく創作が出来たら全く違った人生だったことでしょう。
でも、思うに、それは想像できません。180度違う気がします。

180度転回するまでに、ものすごい距離を歩いてきました。
石の翼を引きずりながら。

 

一ヶ月後には40歳になります。
20年無駄にしたとは思いません。
その過程で得たものは計り知れないですから。

ようやく、翼の石化が解けるのだろうか……?
六枚の翼が羽ばたくときが来るのだろうか……?

 

そういえば思い出しました。
六枚の翼を初めて感じたときは、イギリスに留学中でした。
まったく謙虚に、純粋に、イギリスの演劇から多くを吸収し、創作意欲に燃えていたときです。

留学もあと数ヶ月と差し迫った2000年に、STONEψWINGSというものを創りましたが、
そのときに「石化した翼」という名称をつけているんですね。
重い道のりを予期していたかのように。(もっとずっと早く石化が解けると思ってました)

 

前回のブログで、

「日本一だと自分が認めるレベルを目指す」
「矮小の自分からの脱却と本当の自分の維持」

というのをテーマに掲げました。 
まだ、実感としてつかめていませんが、本当の別役慎司になれる最後の機会だと思っています。

全然こんなものではないぼく自身を、本来あるべき姿を、
見せられるときが来ると思います。

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