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モスクワ芸術座にならう、新しい劇場づくり

軽井沢の全寮制インターナショナルスクールが話題になっていますが、開校までに7年かかったという記事があります。

詳しくはこちら

 

モスクワ芸術座は、スタニスラフスキーダンチェンコの18時間の会談ののち、1年半かかって創設していますが、かなり苦労したようです。

特に資金の面が。
ぼくは、スタニスラフスキーがほとんど出したものだと思っていましたが、実際にはそうではなく、
1万ルーブルくらいだったようです。父親の会社の取締役としての収入はあるものの、遊んで暮らせるほどではなく、
大きな劇場を運営するためには、巨大な資金を集める必要でした。

ただ、スタニスラフスキーの奥さん、マリヤ・リリーナは、素晴らしい女優としても活躍したのですが、
生涯無報酬でいいとまで約束したそうです。

 

当時のロシアは、パトロンで芸術が成り立っていました。
しばらく経つと、全ての演劇や芸術団体は、大なり小なり国からの補助が出るというすごい時代が来たようですが、
モスクワ芸術座創設の1898年当時は、大株主が必要になりました。

結構な身分の人が、俳優もやりたがる例があったようで、
モスクワ大公の副官であった、スタホヴィッチ大佐は、スタニスラフスキーに惚れ込み、
モスクワ芸術座の大株主になっただけでなく、みずからも地位を捨てて、俳優にまでなったそうです。

モスクワ芸術座の最大の後援者となり、劇場を建て、俳優組合も支援したのが、
大金持ちのサヴァ・モロゾフ
ダンチェンコとスタニスラフスキーは、モロゾフと仲良くなってしまうのです。
それもこれも、芸術に理解があるからで、モロゾフはゴーリキーやイプセン、ハウプトマンについて熱心に話をしたそうです。

資金を得ることになったきっかけが面白いです。

ダンチェンコの生徒たちが出演する慈善公演があり、そのチケットを買ってくれないかと頼んだら、
モロゾフは「あいにく金を持ち合わせていない」と笑ったそうな。
そこでダンチェンコは「ではぼくが立て替えよう」と。

また他の機会でも、モロゾフは「持ち合わせがない」といい、ダンチェンコが「いいともいいとも、いつか徴収しに行くよ」
と冗談を交わしたそうで、10ルーブルの貸しがあったそうです。

そして、ダンチェンコがスタニスラフスキーを連れて、モロゾフに会いに行き、
「いつかの10ルーブルを徴収しに来たよ」というと、
モロゾフは、モスクワ芸術座の株主になることを承諾し、差し当たり10000ルーブルの予約をしたのです。

かっこいいですね。

これ、ダンチェンコが「なんてケチなやつだ、こっちは金に困ってるくらいなのに、君は金持ちだろう」なんて
思ってたら破談になってたと思います。
笑い合って、金の貸し借りができたからこその固い親交に繋がったのでしょうね。

 

モスクワ芸術座は、スタニスラフスキーの生徒たちと、ダンチェンコの生徒たちを合わせて
俳優たちが結成されたといいます。その中には、メイエルホリドや、オリガ・クニッペルもいました。
アマチュアから世界一級のプロ集団になったんですよね。

なんだか勇気を感じるエピソードですが、おそらく、今の日本の俳優たちとは比べものにならないほど、
情熱を持っていたんでしょう。

それにしても、世の中、金。
うんざりするところですが、乗り越えないといけない壁ですね。

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