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7日間で学ぶ! 演技の基礎メールセミナー

俳優になるための大事な心構えとマル秘テクニック

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プロの道なき道

プロの囲碁棋士になる道は険しいそうです。
「碁聖」と称される本因坊秀策の故郷の町から初めてプロになった飯田純也くんの場合、
小学一年生、つまり6歳から初めて、17歳でプロになりました。

その間、中学に通いながら関西棋院で学び、
中学を卒業後も寮に入って学び続け、1日10時間以上も練習した日もあるそうです。

それでもなかなか勝てず、初段の条件を満たせないでいたけれど、
ようやく12勝できてプロになったということが、記事に出ていました。

囲碁の世界では、プロになったことは、新聞に記事が載り、
市長に報告をするぐらいすごいことなのです。

俳優との違いにビックリしませんか?
10年以上研鑽を重ねて、ようやくプロになるのです。
俳優は、ほとんどなにも学ばず、プロになろうとして、
現場で学んでいけばいいやと知識も技術もないまま人前で演技をする。

プロという基準もハードルも低レベルな国です。

勝負事は勝敗が出るので、そこが厳しさの原因となっています。
俳優の演技に勝敗は出ません。
専門家が見れば、(素人目にもわかるけれど)惨敗している高給取りの俳優はたくさんいます。

作品全体で、みんな惨敗というケースもよくあります。
みんな惨敗だけど、スポンサーを集めて、商業的に成り立っているドラマや映画がたくさんあります。

俳優の世界には、囲碁の世界ほどのはっきりとしたプロへの道がありません。
だからといって、「学ばない」「実力を磨かない」というのは違います。
「美容整形で売れるようになろう」「枕営業して売れるようになろう」
というのは、もう本末転倒です。プロという概念が、「露出する」「金を稼ぐ」というものだけになっています。

演技によって、観る人に感動や勇気を与えたり、物語に没頭させて作品を味わわせるのが俳優という職業なのです。

学びもせず、素の自分を垂れ流した癖だらけで技術のない演技でプロの俳優と名乗るのはやめましょう。
プロ棋士のように、10年没頭して修行するくらいの覚悟を持ち、プロと呼ばれるようになっても学び続けましょう。

 


声優の養成所生徒に見られる表面演技

声優系の養成所や専門学校の生徒は、まだ経験も少なく、
声のことばかり集中的に意識しているため、
舞台発表になると、極度に偏った表面的な演技になりがちです。

彼らは、声のことばかりを気にかけているので、全てが不自然です。
喋り方ばかり意識しているので、毎回同じタイミングで、同じ声で台詞を喋ります。
これは、もう演技として死んでいます。

先生のほうにも問題があります。
声優系の養成所で、声優が講師をつとめるというところに限界もありますが、
ベテランの声優は舞台もたくさん出演しているでしょうから、もっと自然でリアルな演技を教えなければいけません。
普段から、その指導がなく、声だけで表現させようとしているので、
結果として不自然で表面的な演技になります。

このように育てられると、他人の舞台も、喋り方ばかり気になります。
滑舌、高低、響き……色んなことが気になって仕方がなくなります。
普通の人と同じ感覚で舞台を観ることができなくなります。
つまり、正常な感覚を失ったままになるのです。

特に、10代が集まる専門学校や、養成所の一年目は、
声ばかり声優の真似事のように変化し、
実質的な演技力は著しく低いままの人材がたくさん誕生することになります。

声優志望者は、この点も気をつけて、学ぶ場所を選ぶべきです。

 


成功する芸術家のクリエイティビティ

芸術家にせよ、起業家にせよ、ビジネスパーソンにせよ、
追跡調査によって、成功するタイプというものが研究されてきました。

50年以上も前の話。
今や有名な心理学者チクセントミハイは、美術を学んでいる学生に静物画を描かせて、行動に2パターンとあることを知りました。
一つは、さっさと物を選んで、そこからいかにうまく描けるか選んだグループ。
もう一つは、たくさんある物の中から、なにを使って、どんないい絵が描けるか考えたグループ。

俳優や声優もそうですが、養成所や専門学校を出たものの、
多くの人が脱落します。

この美術を学んでいる学生も、その後、半数が美術とは関係ないことをしていました。
しかし、半数は美術で食べていけていて、ある人たちは成功を収めていました。

どちらのグループが、生き残った側だったでしょうか?

それは、二番目の、たくさんある物の中から、なにを使っていい絵を描こうか考えたグループです。

彼らは、たくさんある可能性の中から、ベストな形を探しました
チクセントミハイは、そうした創造性のある人たちに着目して研究したのです。


我々、演劇人にとって、これはどんなことがいえるでしょう?

日本の演劇は、まことに多種多様です。いろんな演劇があります。
その中でベストを選んでいる人は、ほとんどいません。

ぼくは、日本の演劇を見てきて、そこに目指すものはなく、
理想の形をイギリスに見つけました。そして、それは世界の一流が選ぶスタンダードでもありました。
ぼくは多くの可能性の中から、ベストのものを見いだし、取り組んできました。

日本人の多くは、世界も見ず、勉強もせず、
その辺でやっているお芝居から刺激を受けて、真似てやっています。

アニメもそう。似たようなアニメばかりではありませんか。
無限の可能性の中から、独自のものを見いだすクリエイティブな人は少なく、
ありふれたものに影響され、真似ることばかりしています。

俳優志望者も、とりあえず、知名度のある養成所やプロダクションに行こうと安易に考えます。
学びはじめても、与えられたレッスンの中で、ベストを尽くそうとするだけで、(ベストを尽くさない人もたくさん)
自ら学び、切り開いていく人は希少です。

チクセントミハイは、一流の芸術家やスポーツ選手に見られる、創造性に着目したわけですが、
多くの俳優や演劇人は、これといった創造性もなく、もう一流の道が終わっている人だらけです。
(それでも、なんとなく注目されたり、名前が売れたりするのが商業主義時代のおかしなところですが)

最後に、チクセントミハイはこんなこともいっています。
10年間は特定の分野の技術的知識を徹底的に学ばないと、優位性をもたらす創造性は出せないと。


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