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7日間で学ぶ! 演技の基礎メールセミナー

俳優になるための大事な心構えとマル秘テクニック

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ダンチェンコとチェーホフ

コンスタンチン・スタニスラフスキーとともに、モスクワ芸術座の創設者であるネミロヴィッチ・ダンチェンコ
彼は、結構すごい演劇人でした。

歴史的には、スタニスラフスキーとチェーホフの影に隠れた脇役的存在ですが、
元々ダンチェンコのほうがロシアでは有名だったのです。

モスクワ芸術座自体も、ダンチェンコの「新しい劇場を創りたい」という長年の熱い思いがあったからこそ、スタニスラフスキーと意気投合したのです。

 

ダンチェンコは、劇作家であり、非常に質の高い戯曲を書いていました。
チェーホフが「かもめ」で最初失敗した年、年間ベストワンに選ばれたのが、ダンチェンコの「人生の価値」という作品です。

相当評価の高かったダンチェンコの作品は、今ではほとんど読まれることも上演されることもありません。
逆に、「大変な愚作」とまで称された「かもめ」が世界中で上演されています。
変化というのは面白いものです。

しかし、ダンチェンコはチェーホフの素晴らしさを知っていて、「人生の価値」が受賞したとき、
本当のベストワンは「かもめ」だ、と訴えたくらいなのです。

ですから、すごく先見の明はあります。
当時の時代に合致する、観客が喜ぶ作品を書いて、絶大な地位を築きながら、来るべき新しい作品を書けるチェーホフを賞賛していたのです。

 

ちなみに、チェーホフは、「かもめ」の大失敗を目の当たりしたとき、もう絶対に戯曲は書かないと誓いました。
「700歳まで生きても書かない」と。

彼は、初日を観ています。
観客の当惑、鳴らない拍手、ピストル自殺の悲劇的な場面で爆笑される始末。
散々で、初日後のパーティーも出席せず、そのまま姿をくらまし、これまでチェーホフに戯曲を書くように勧めてきたダンチェンコらを呪ったほどでした。

二人は、かなり前から親交があったのです。
ダンチェンコは、スタニスラフスキーのことを知っていましたが、大した付き合いはなかったのです。
「新しい劇場」構想を、既存の大劇場に呼びかけた際、どうせ拒絶されると思って、スタニスラフスキーのことを思い出し、会わないかと誘ったのです。
それが、歴史的な会合に繋がったわけです。
つまり、モスクワ芸術座誕生のきっかけになったのです。

 


古本市でお宝演劇本発掘

池袋西武の催事場で開催されている古本市に行ってきました。
演劇書・映画書がかなり多く、お宝が眠っていました。

河竹繁俊著 日本演劇全史

まずは河竹繁俊著「日本演劇全史」!
これはものすごいボリューム本です。その分厚さは7センチ。広辞苑と変わりません。
ページ数は1300pを超えます。
日大芸術学部の図書館にはありました。その頃から、憧れはありました。
古本で出会えるとは思いませんでしたね。資料として、置いておきたい一品です。

 

スタニスラーフスキイシステムによる俳優教育

次は、「スタニスラーフスキイシステムによる俳優教育」。
グリゴーリイ・クリースチ著となっています。
こんな本があるとは知りませんでした。1971年の本で、「俳優修業」のあと、「俳優修業」に関する本をロシア人が書いたのではないでしょうか。
これも貴重な資料ですね。

 

テネシー・ウィリアムズ一幕劇集

それから「テネシー・ウィリアムズ一幕劇集」。
これはレアでもないんですが、安かったので、アドヴァンスクラスのテキスト等で使えるように購入。
「Baby Doll」の一幕劇版が入っていますね。他にもたくさん。

 

モスクワ芸術座の回想 ネミロヴィッチ・ダンチェンコ

次は、かなりレア本。「モスクワ芸術座の回想」。ネミロヴィチ・ダンチェンコの本です。
翻訳されて出版されていたんですね。知りませんでした。
モスクワ芸術座の当時の様子やスタニスラフスキーについてかなり知ることが出来る資料です。
すごい古い本で、昭和十四年発刊です。定価2円!
モスクワ芸術座の「ク」の字がなぜかちっちゃいし、ニェミロヴィッチとなっています。

 

聖林の王 早川雪洲 野上英之著

そして、野上英之著「聖林の王 早川雪洲」です。
聖林とはハリウッドのことです。
早川雪洲映画化企画に関わるものとして、いい資料が見つかりました。
早川雪洲の自伝本も売ってあったんですが、これは新版で既に買っていました。

 

演技について ローレンス・オリヴィエ

最後に、世界屈指の名優ローレンス・オリヴィエの「演技について」。
レアではないですが、安かったので買いました。
スクール生に早速貸しました。

 

ということで、六点。レアものもありながら、5000円以内に収まりました。
本棚を拡張させたいですね。今限界なもので……。


早川雪洲

早川雪洲の生涯を書いた本

ハリウッド進出のための依頼で、早川雪洲について調べています。
中川織江さんの書かれた「セッシュウ! 世界を魅了した日本人スター・早川雪洲 」が、とても詳細に調べてまとめられているので、
地道に読み進めていました。かなりのボリュームでしたが、読み終わりました。

改めて、「こんなすごいことをやった日本人がいるのか」と思います。

現在の状況しか知らなかったぼくとしては、
これだけ国際化が進んだ現代でさえ、アメリカやヨーロッパで有名になっている日本人俳優が
ほとんどいないのに、何十年も前に、トップスターがいたということが驚きです。

早川雪洲は、ホントに国際的な大スターだったんですよね。
(もっと知られていてもいいと思いますが……)

チャップリンと肩を並べた存在
家はお城のような建物で、大使館が迎賓館として使用するほど
イギリスでは女王の前で演じた
幾つもの映画に出演して、評価も高く、すごく売れた
舞台でもニューヨークで主役として立った

まぁ、とんでもないアメリカンドリームを成し遂げた人です。

 

妻の鶴子も、スゴイ人で、川上音二郎のアメリカ公演に幼いときについていっているんですよね。
そして、アメリカで捨てられています。興行のお金を盗難されて、足手まといになっちゃったんです。
結果、当時大成功して有名だった画家に養女とされています。

そして、社交界でも通用する一級の女性になっただけじゃなく、
日本人の国際的女優第一号ともなりました。

 

二人が結婚して、多くの映画に出演したり、舞台に立ったり、
どれもスケールが大きいので、早川雪洲を映画にするのはとてもいい題材でしょうね。

魅力的ですよ。

なぜ映画化されなかったかといえば、英語を話せる日本人の国際俳優がほとんどいないからでしょうね。

英語だけの問題ではなく、演技力の問題もあります。

渡辺謙はその点、大躍進だと思いますが、このクラスの日本人がわんさか海外で活躍していたなら、
既に映画化されているのではないでしょうか。

 

日本人俳優の国際化
この野望は、これからの課題ですよね。

遠い昔、早川雪洲の時代は仲間の日本人たちも、映画にたくさん出ていましたし、
日本人俳優たちがこぞって、いろんなトップクラスの映画に出演するようになれば素晴らしいです。

 


ピーター・ブルックの「The Tightrope」

ピーター・ブルックのドキュメンタリー映画

ピーター・ブルック(Peter Brook)「ザ・タイトロープ(The Tightrope)」の先行上映会に行ってきました。
日本では9月から、「ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古」という題で上映されるそうです。

監督は息子のサイモン・ブルック(Simon Brook)。
今日はアフタートークとして、サイモン・ブルックのトークショーがありました。

内容ですけど、「Tightrope 綱渡り」というエクササイズを通して、
俳優の全身を使った想像力によって、いかにリアルにしていくかという
根本的で重要な内容について指導しています。

全身の想像力とは、綱渡りをしているときの足の感覚を、
足に目があるようにイメージするなどです。

俳優が演技するとき、全てに生演奏の音楽があるのがユニークでした。
俳優の創造性を刺激するための環境を、繊細に用意しているのです。

面白いのは、

静寂(calm)から始まる。だから、静寂から準備し、行動し、また次の行動の選択へと繋がっていく。


と説明しているわけですが、この辺はマイケル・チェーホフにも通じます。

また、ちょうど日曜クラスの「チェーホフ&ジンダーメソッド」で先週テーマにした
美の感 Feeling of Beauty」に通じることも話していました。
先週、この究極的なポジティブフィーリングを、演技のときに(悲劇的な場面もたくさんあるのに)
どう生かせばいいのかという話をしました。

ブルックは、俳優が持てる創造の喜びについていっていました。

日常生活で常に喜びに満たされるのは聖人くらいだが、俳優は短時間もしれないが、
役を生きる中で喜びを感じられる。

偉大な演劇人は、スタニスラフスキーにせよマイケル・チェーホフにせよ、
結構スピリチュアルなんですけど、ピーター・ブルックもまるで禅マスターのようです。

 

ヨシ・オイダさんが、「音楽や相手があれば、そこからインスピレーションを得られるが、
一人では、天から降ってくるのを待つしかない。どうすればいいのだろう」ということをいっていました。
その答えの部分は、言葉として映像にはなかったのですが、即興性のなかにあることは示されていました。

自由と創造という人間の根本的な要素をもつ即興のなかに、ぼくはあると思います。
ピーター・ブルックは、静寂(calm)から生まれるといっていましたが、
ぼく的には、静寂じゃないときも、絶えずインスピレーションが降ってくるのをインプロヴァイゼイションの中で体験しています。

 

ピーター・ブルックのカンパニーは、国際的なメンバーで構成されていて、
「ハムレット」などを上演するときも、白人・黒人・東洋人が混じっているわけですけど、
それは言語を超えた、人間というレベルでの表現を追求しているからでしょうね。

想像力を刺激して、目に見えないものを見させる創り方は、相変わらず昔から取り組んでいるようですね。
ぼくも、創造する上で、やっぱりこれは譲れない点ですが、日本の演劇人ももっとこの意識をもってもらいたいです。

 

公式ホームページはこちらから
http://peterbrook.jp/

 


シルク・ドゥ・ソレイユにならって

シルク・ドゥ・ソレイユとイノベーション

シルク・ドゥ・ソレイユを立ち上げたギー・ラリベルテは、
低迷するサーカス界を眺めて、従来のやり方をことごとく捨てることで
革命的なサーカス団にしました。

スタンフォード大学のティナ・シーリグは授業でこのことを取り上げ、
学生にまずは古いサーカスの映像を見せ、古典的なサーカスの特徴を挙げてもらいます。
例えば、「大きなテント」や「動物による曲芸」「安いチケット」「けたたましい音楽」など。

そして、これらを全部逆にしてもらいます。
「テントでやらない」「動物による曲芸をしない」「高額なチケット」「洗練された音楽」など。

そうすると、シルク・ドゥ・ソレイユのスタイルになっていきます。
学生には実際にシルク・ドゥ・ソレイユの映像をみてもらいます。

既存のやりかたをことごとく否定し、逆を行くことで、サーカス界における唯一無二の成功団体になりました。

 

では、こうしたことを演劇でできないでしょうか?

実は、「LLL~恋の骨折り損~」では、アンケートを撤廃しました。
また、チラシを配布するという手段ではなく、もっとWEBを使ったプロモーションを提案しました。
(ですが、広告宣伝係は古いやり方しかできませんでした)

あまりにも盲目的に既存のやり方を踏襲しすぎています。
そして、新しいやり方を提案するのは難しいものです。
新しい方法について話しても、彼らはポカンとしてしまい、
「やったことないことはできない」という気持ちになってしまいます。

独創的な唯一無二の舞台を生み出す演劇人ですが、
実は、多くの人が保守的です。
アングラ演劇なんて、既存のものを壊すために生まれたのに、
一番の保守になっています。

日本の小劇場演劇での、役者の手売りやアンケート、贈り物の風習、
チラシ折り込み、演劇サイトへの書き込みなどは、みんな古くて大した意味も感じません。
20年も前にやってたことを今も常識的にやるなんて、
今もポケベルを使うようなものです。

 


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