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7日間で学ぶ! 演技の基礎メールセミナー

俳優になるための大事な心構えとマル秘テクニック

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twelve感想

望月龍平カンパニーの「Twelve」を観てきました。

千秋楽で、ジョン・ケアードも観に来ていましたね。

最後には龍平さんの挨拶や、カンパニー皆の歌などもありました。
ファンが多いので、スタンディングオーベーションになっていました。
(こういう慣例はいらないかなと思います。作品の質そのもので判断してほしいですね。)

日本で舞台を観ると、外れがほとんどのなか、
この舞台は良く出来ていました。

「12人の怒れる男」という下敷きがあるものの、台本の出来は良く、緻密に描けていました。

青山円形劇場で、1カ所(裁判員議論部屋)のみの芝居なので、
人力廻り舞台を駆使して、見やすくしていました。
舞台セットはシンプルで美しく、問題ありません。

照明は、もう少し、横からの明かりで陰影をつけるべきかなと思いますが、
まぁ、日本式の照明ですね。

俳優の動き、見えやすさは、しっかり考え抜かれていて、不自然なところもなく、
演出が出来ていました。

キャスティングもピッタリ合っていて、
良い作品にしようというエネルギーが伝わってきました。
プロフェッショナルだなと思います。

問題点を指摘するならば、役者の演技ですね。
台詞が内側から出ているのではなく、台詞に合わせて、外側の演技を作っているという印象で、
特に感情が乗ってこない前半部は、表面的な台詞ばかりでした。

キャラクター個々に独特の台詞のテンポ・リズムがあり、それが役柄を映しているのですが、
もっと一人のキャラクターのなかでテンポ・リズムを変えるべきです。
感情が変化しているのですから。そこが単調で、お決まりの芝居がかった台詞回しになりがちです。

村井国夫さんは、そのなかでも自然だったかな。

俳優を舞台上で生きさせることが本当は必要なのですが、
劇団四季という場所にいたら、台詞を完璧に届かせないといけないという固定観念がついていても仕方ありません。
話しかける相手との距離によって、ボリュームをコントロールすべきなのですが、
どの距離でも、届かせようとする発声になり(実際はもっとボリューム押さえても声は届くのですが)、
これも不自然さに繋がりました。

バックに音楽が入ると、マイクのボリュームも上がるのですが、
これも、スピーカーから役者の声が聞こえてしまうので、リアリティーを失わせがちです。

そこは難しいところですね。
ぼくは、声が完璧に届くかよりも、表情や感情で見せて、リアリティーがあるほうを選択する人間なので。

しかし、総じて、出来はよかったです。
日本の中では珍しいくらい。

 

終演後、連れのOFF OFF BROADWAY JAPAN理事の森井さんらとともに、
龍平さんと写真撮影し、握手。
彼、涙ぐんでいましたね。

幸せだと思います。
嫉妬するくらい、いい空間に、いいメンバーに、いい観客でしたからね。

 

また、代表の龍平さんや、振り付けの柴田桃子さんが受付周りの手伝いもしていて、
そういうところも大事だなと思いましたし、千秋楽の代表挨拶があるのに、
なんかよれっとした服装をしている素朴な龍平さんの姿に、
「ああ、こういうところにファンがつく理由があるんだな」と思いました。

 

 


モスクワ芸術座にならう、新しい劇場づくり

軽井沢の全寮制インターナショナルスクールが話題になっていますが、開校までに7年かかったという記事があります。

詳しくはこちら

 

モスクワ芸術座は、スタニスラフスキーダンチェンコの18時間の会談ののち、1年半かかって創設していますが、かなり苦労したようです。

特に資金の面が。
ぼくは、スタニスラフスキーがほとんど出したものだと思っていましたが、実際にはそうではなく、
1万ルーブルくらいだったようです。父親の会社の取締役としての収入はあるものの、遊んで暮らせるほどではなく、
大きな劇場を運営するためには、巨大な資金を集める必要でした。

ただ、スタニスラフスキーの奥さん、マリヤ・リリーナは、素晴らしい女優としても活躍したのですが、
生涯無報酬でいいとまで約束したそうです。

 

当時のロシアは、パトロンで芸術が成り立っていました。
しばらく経つと、全ての演劇や芸術団体は、大なり小なり国からの補助が出るというすごい時代が来たようですが、
モスクワ芸術座創設の1898年当時は、大株主が必要になりました。

結構な身分の人が、俳優もやりたがる例があったようで、
モスクワ大公の副官であった、スタホヴィッチ大佐は、スタニスラフスキーに惚れ込み、
モスクワ芸術座の大株主になっただけでなく、みずからも地位を捨てて、俳優にまでなったそうです。

モスクワ芸術座の最大の後援者となり、劇場を建て、俳優組合も支援したのが、
大金持ちのサヴァ・モロゾフ
ダンチェンコとスタニスラフスキーは、モロゾフと仲良くなってしまうのです。
それもこれも、芸術に理解があるからで、モロゾフはゴーリキーやイプセン、ハウプトマンについて熱心に話をしたそうです。

資金を得ることになったきっかけが面白いです。

ダンチェンコの生徒たちが出演する慈善公演があり、そのチケットを買ってくれないかと頼んだら、
モロゾフは「あいにく金を持ち合わせていない」と笑ったそうな。
そこでダンチェンコは「ではぼくが立て替えよう」と。

また他の機会でも、モロゾフは「持ち合わせがない」といい、ダンチェンコが「いいともいいとも、いつか徴収しに行くよ」
と冗談を交わしたそうで、10ルーブルの貸しがあったそうです。

そして、ダンチェンコがスタニスラフスキーを連れて、モロゾフに会いに行き、
「いつかの10ルーブルを徴収しに来たよ」というと、
モロゾフは、モスクワ芸術座の株主になることを承諾し、差し当たり10000ルーブルの予約をしたのです。

かっこいいですね。

これ、ダンチェンコが「なんてケチなやつだ、こっちは金に困ってるくらいなのに、君は金持ちだろう」なんて
思ってたら破談になってたと思います。
笑い合って、金の貸し借りができたからこその固い親交に繋がったのでしょうね。

 

モスクワ芸術座は、スタニスラフスキーの生徒たちと、ダンチェンコの生徒たちを合わせて
俳優たちが結成されたといいます。その中には、メイエルホリドや、オリガ・クニッペルもいました。
アマチュアから世界一級のプロ集団になったんですよね。

なんだか勇気を感じるエピソードですが、おそらく、今の日本の俳優たちとは比べものにならないほど、
情熱を持っていたんでしょう。

それにしても、世の中、金。
うんざりするところですが、乗り越えないといけない壁ですね。


台本への取り組み方でレベルがわかる

レベルの高い舞台を創る欧米や北欧、ロシアなどでは、
当然のことなのだが、戯曲をしっかり読解し、分析し、研究します。

日本のごく一部はこうしたことをしますが、ほとんどが、読解作業を蔑ろにし、
1~2度の本読みで、台詞を覚えてきて、立ち稽古に入ろうとします。

こうした習慣は、ロシアでモスクワ芸術座が、スタニスラフスキーとダンチェンコによって
理想的な規律を導入するまで、あらゆる劇場であったことでした。
モスクワ芸術座が世界に名をとどろかせたこともあり、
従来の悪習慣は、欧米やロシアを中心に、消えていったものです。

が、それから約120年経ちますが、日本ではまだこの悪習慣が主流です。


 恐ろしく遅れていることがわかりますか?

そのくせ、劇団の数・公演の数は最も世界で多い!

最先端の世の中で、こんなに大規模で、こんなに遅れた舞台の作り方を
せっせとしている日本演劇は恥ずかしいほどに異常です。
外国人が劇場に来ないのをいいことに、世界で最もレベルが低い演劇を、
世界で最も金をかけて、大規模に行っているのです。
極端な言い方ではありますが。

若い人たちも、俳優中心に、陰では演出家や劇団の文句を言いながら、盲従してしまっています。
俳優の地位が低いことが一つの問題として挙げられるでしょう。
それ以上に、プロデューサーや演出家など、制作側の人間が、もっとレベルが高くならないといけません。

観客が、ダメな芝居に対して、ダメという姿勢を示すのも、成長させる上では大事でしょう。
同じくロシアの革命的演劇人メイエルホリドは、新しい劇場を創設した際、
「舞台が良ければ、好きに拍手をしてよい。良くなければ、口笛を吹いたり文句を言っていい」
という案内を出したくらいです。

ぼくは、新しい演劇を模索していた、1900年前後のロシアにはとても興味をそそられます。
ぼく自身が、20年も新しい演劇を模索……どころか既に分かっているので……実現に向けて努力してきて、
なんにも変えられないことに途方に暮れているわけですから。

 

とにかく、台本の取り組み方で、レベルがわかるといっていいでしょう。
台本を蔑ろにし、すぐ立ち稽古に入ってしまう劇団で、高いレベルのものはありません。
ですから、日本は全般レベルが低いわけです。

台本を尊重し、しっかり読解し、土台を積み上げていくように創っていく劇団は高いレベルを誇ります。

 


自己中心的な人は成功するだろうか

うちのアクティングスクール生しかり、自分のことしか考えていない人、
自分のことで手一杯になっている人は多い。
逆に、進んで周りに働きかける人はほとんど見ない。

俳優というのは根っから自己中心的な生き物かもしれません。

そんな人たちが成功する姿はなかなか浮かびません。
やはり、成功する人というのは、周りが見えていて、オープンで、
自分のことよりも周りのことを考え、自分の成功よりも組織の成功を考えて動く人です。

どういうわけか、これが出来ない人が多く、
社会でいわれる若者像のように、最近はコミュニケーションすら消極的な人が増えました。

だから、今「スカソア」での短編スタジオ公演の稽古をしていますが、
「自分のことはいいよ。そんなのやってきて当たり前だから」
というんです。

個々人のことはどうでもいいから、
もっと全体のことを考えてほしい。

そうしないと、全体が良くならない。

向けているエネルギーが、いつも違うところにいっています。
自分が所属している団体のためにかける時間はほとんどなく、
自分が一時的にバイトしている、別にその企業理念や社長に惚れ込んでいるわけでもない、
しかも自分がいなくなってもなんら影響もない、よその団体のために、大変な時間を注ぎ込んでいる。

荒唐無稽な矛盾です。
そうした考えや振る舞いが、自分自身を成功から遠ざけてしまいます。
とにかく、周りや全体のために、考えて動く習慣をつけてほしいものです。


ダンチェンコとチェーホフ

コンスタンチン・スタニスラフスキーとともに、モスクワ芸術座の創設者であるネミロヴィッチ・ダンチェンコ
彼は、結構すごい演劇人でした。

歴史的には、スタニスラフスキーとチェーホフの影に隠れた脇役的存在ですが、
元々ダンチェンコのほうがロシアでは有名だったのです。

モスクワ芸術座自体も、ダンチェンコの「新しい劇場を創りたい」という長年の熱い思いがあったからこそ、スタニスラフスキーと意気投合したのです。

 

ダンチェンコは、劇作家であり、非常に質の高い戯曲を書いていました。
チェーホフが「かもめ」で最初失敗した年、年間ベストワンに選ばれたのが、ダンチェンコの「人生の価値」という作品です。

相当評価の高かったダンチェンコの作品は、今ではほとんど読まれることも上演されることもありません。
逆に、「大変な愚作」とまで称された「かもめ」が世界中で上演されています。
変化というのは面白いものです。

しかし、ダンチェンコはチェーホフの素晴らしさを知っていて、「人生の価値」が受賞したとき、
本当のベストワンは「かもめ」だ、と訴えたくらいなのです。

ですから、すごく先見の明はあります。
当時の時代に合致する、観客が喜ぶ作品を書いて、絶大な地位を築きながら、来るべき新しい作品を書けるチェーホフを賞賛していたのです。

 

ちなみに、チェーホフは、「かもめ」の大失敗を目の当たりしたとき、もう絶対に戯曲は書かないと誓いました。
「700歳まで生きても書かない」と。

彼は、初日を観ています。
観客の当惑、鳴らない拍手、ピストル自殺の悲劇的な場面で爆笑される始末。
散々で、初日後のパーティーも出席せず、そのまま姿をくらまし、これまでチェーホフに戯曲を書くように勧めてきたダンチェンコらを呪ったほどでした。

二人は、かなり前から親交があったのです。
ダンチェンコは、スタニスラフスキーのことを知っていましたが、大した付き合いはなかったのです。
「新しい劇場」構想を、既存の大劇場に呼びかけた際、どうせ拒絶されると思って、スタニスラフスキーのことを思い出し、会わないかと誘ったのです。
それが、歴史的な会合に繋がったわけです。
つまり、モスクワ芸術座誕生のきっかけになったのです。

 


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