平成12年度舞台芸術専攻修士論文

三部作 −「オレステイア」と現代の上演−

(Trilogy −「The Oresteia」and the modern performances−)

   別役慎司

 

 

 

 

 

序論−Introduction−

アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスといったギリシア悲劇詩人が悲劇の競演において活躍していた時代、三部作というのはありふれた形式であった。というのも、ディオニュソス祭の上演は三本の悲劇と一本のサチュロス劇で構成されていたからだ。悲劇詩人たちは悲劇三作品において、連結した流れをもつ三部作の形式を取ったり、同一のテーマのもと、三作品を書いたりした。残念ながら、当時の戯曲作品の多くは散逸し、現在三大悲劇詩人の作品では33作品しか残存していない。その中でも、三部作の形式となっているのはアイスキュロスがBC458年に書いた「オレステイア」のみである。そういうわけで、この「オレステイア」は現存する最古の三部作であるのだ。
  この論文では、この三部作に焦点をあてて取り上げる。三部作という形式は現代でも演劇や小説などのジャンルでしばしば見ることが出来る上に、「オレステイア」をはじめとする三部作は尚も上演されている。ギリシア悲劇の時代と現代において、三部作を創る上でどのような差異があるのか、この点を明らかにしたいと思う。その際、ギリシア悲劇の上演形式やアテネの社会・文化について述べる必要があるだろう。第一章の内容はそれである。
  第二章では、「オレステイア」その作品そのものに焦点を絞る。「オレステイア」は「アガメムノン」「コエポロイ(供養する女たち)」「エウメニデス(慈悲なる女神たち)」の三部に分かれている。オレステス伝説を扱った作品は、アイスキュロスのように三部の連結された作品形式を取ってはいないが、ソフォクレスやエウリピデスにも見られる。特に、エウリピデスの作品は明らかにアイスキュロスのそれを意識している。オレステス伝説は、それほど有名なものであり、作家の創作意欲を沸き立てる魅力を秘めていた。第一章、第二章では、合わせてギリシア悲劇および「オレステイア」の現代性についても論じるつもりだ。「オレステイア」に限らず、多くのギリシア悲劇作品はそうだが、内奥のテーマは普遍性を持ち、現代にも通ずる。そこに、現代でも上演される理由があると思うのだ。
  第三章では、そこまでの論考を踏まえつつ、現代の上演に目を向けたい。「オレステイア」は優れた演劇人によって、何度と現代に甦っている。この論文では、特に1981年にピーター・ホール(Peter Hall)が演出した上演と、1999年ケイティ・ミッチェル(Katie Mitchell)が演出した上演を紹介する。現代の上演に目を向けることは極めて意味が深い。当然、普遍性を内在するテーマを全く異なる時代と社会の中でどう捉えているのかということ、それから照明や装置、観客など全てが様変わりした現代でどう演出するのか、ということは興味深い。このことで注意すべき点は、ギリシア悲劇をどううまく上演するのかということではない。ギリシア悲劇が、どうわたしたちの生き方や演劇に影響し、どうわたしたちの表現として再創造するのかということが大切なのだ。それでなければ、演劇は化石のもとなってしまう。確かに、異国の、しかも約2500年も前の作品を現代において上演するのだから、現代的意味と必要性が根底にある。このことを前提にした上で、二つのプロダクションを分析する。
  最後の章では、ギリシア悲劇とは離れ、三部作の形式を取っている演劇作品をいくつか取り上げて比較する。デビッド・ヘアー(David Hare)の「David Hare Trilogy」、アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)の「Arnold Wesker Trilogy」は、共に政治的な作品で、上演当時の英国社会と密接に関わっている。また、アラン・エイクボーン(Alan Ayckbourn)の「ノルマン大征服(The Norman Conquests)」のように喜劇として三部作を書いた作品もあるし、「The Mysteries」のように中世聖史劇を大がかりに再創造したものもある。このような、三部作の形式をもつ作品を紹介する。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.ギリシア悲劇とアテネの文化・社会−The Greek tragedy and the Athenian culture and society−

 紀元前5cのアテネ社会に、民衆の誰もが参加できる祭りというのは強固に根付いていた。アテネの市民は年間100日以上も、祭りや宗教的な行事に参加していた。身分の差別、性差別は当然この時代にはあり、アテネのそれらは厳しいものであったが、祭りとなれば、政治的なもの以外は、女・奴隷・外国人関係なしに参加できた。現代において、これほど祭りが生活に根付いている国はあるだろうか、またギリシア悲劇を上演するときに祝祭の気分になれるだろうか、これらの点では大きな違いがある。今日、身分差別や性差別がほとんどなくなったという点では、状況は似ているといえるが、相違点は確かに多く、アテネ社会は特殊であった。
  特殊性の象徴は、ディオニュソス崇拝であろう。葡萄・酒・豊穣の神であるディオニュソスは、古来より彼らの生活とともにあった。はじめは、ディテュランボスと呼ばれる合唱舞踊であった。合唱団はアッティカの10の部族より5人ずつ選ばれた50人で構成され、ディオニュソスの祭壇の周りで賛歌を唄い舞った。このディオニュソスを崇拝する合唱舞踊が、徐々に神話・英雄伝説と結びつき、悲劇の上演の時代へと移っていくのだ。
このディテュランボスは多分に即興性を持っていたとアリストテレスはいっている。Aylenは、それがかなり騒がしい性質のものであったといっている。(Aylen, 1964, p.28) 確かに祝祭の中の行事であるから、はじめはほとんど型というものがなく、参加者のその時の気分で舞い唄われたのかもしれない。悲劇の時代に移りゆくにつれ、即興性がどのくらい残っていたのかは定かではないが、即興的な動きから悲劇が誕生したのなら、果たしてどの程度作家が即興性を意識したのかは興味のあるところだ。周知の通り、アイスキュロスは俳優を二人にした。この改革は対話をさせるということで大きな意味がある。物語を語るだけでなく、より劇的にさせた裏には、物語をしっかりと観客に見せたいという意図があったのかもしれない。とすると、やはり即興性は低くなる傾向になるだろう。合唱舞踊のみではなく、俳優が一人、二人、三人と増えていった歴史はまさにそのことを示しているといえよう。 
  Rehmは、著書「Greek Tragic Theatre」のなかで、アテネの文化・社会−すなわち、政治、法律、祭り、音楽、詩など−全般に渡って演劇性を見いだしている。シェイクスピアのように「All the world's a stage.」といってしまえばそうなのだが、当時のアテネはより「The Performance Culture」(Rehm, 1992, p.3)であった。それは、祭りの典型的パターンを見てみるとわかる。

1)司祭は聖衣をまとい、従者は儀式のための道具や犠牲のための動物を 携え、見物人を巻き込んだ行列は神殿へと向かっていく。
2)神殿の外、祭壇の前に集まり、そこで群衆は犠牲の儀式を見物する。3)犠牲にされた動物は、神に捧ぐ供え物や饗宴の料理となる。
4)饗宴のあと、コンテスト形式のパフォーマンスが行われる。それは陸 上競技のようなものであったり、楽器の演奏、歌や踊りなどである。(地 域によって異なる)
(Rehm, 1992, p.6)

このように、宗教的な儀式の中に「行うもの」と「見物するもの」の両者の存在が出来上がっている。そしてまた、「行うもの」は単なる儀式を行うだけでなく、競技や芸術としても、民衆の中に浸透し発達しているのは注目すべき点である。
  オリンピックのように、人々が集い競うことをギリシア人は好み、悲劇の競演も、「最優秀悲劇作品」「最優秀悲劇俳優」「最優秀プロダクション」というように、様々な賞が与えられた。(Hartnoll, 1985, pp.12-13)
  劇場は地域・年代によって様々なものが作られた。現代のように、芝居好きな人や観光客が劇場に足を運ぶというものではなく、人々の生活に密着したものであるから、膨大な観客を収容できなくてはならない。必然的に巨大な野外劇場になる。その収容人数はBC5世紀には10000人以上にのぼり、なかでもディオニュソス劇場は20000人を収容できたという。今日から考えると非常に規模が大きい。それに伴い、オルケストラ(舞台面)も広く、コロスが踊るには充分なスペースがあった。
  初期のオルケストラは長方形をしており、客席も三方から取り囲むような形状をしていた。時代が進むにつれ、その形状も変わり、メガロポリス劇場のように半円形のオルケストラ、サークル状の客席が現れる。BC350年頃に建てられたエピダウロス劇場では、オルケストラは完全に円形になっている。
  このような変化の裏には、宗教的意図が弱まり、文明が高度化していき、人間中心の文化になっていった背景がうかがいしれる。Wilesは、エピダウロス劇場の建設にピタゴラスの数理やプラトンの思想が影響を与えていると指摘している。というのも、客席の配置はピタゴラスの概念で計算されているのだ。また、客席は12のくさびで分けられているが、この12という数字は12星座、すなわち宇宙を意識している。これは宇宙の調和と音楽の調和を意図したものだというのだ。(Wiles, 1997, p.40)コスモロジーはギリシアで発達した学問の一つである。ギリシア人の探求心の強さは、哲学や芸術を見てもわかるが、その過程で神への信仰も徐々に薄らいでいったのは間違いあるまい。
  芸術の歴史の中では、しばしば神と人間の対立があり、神を否定し、人間が自立しようとする動きが時に現れる。それは、ルネサンスもそうだし、ダーウィンの「種の起源」がきっかけとなった概念の変化もそうだ。古代ギリシアにも、多かれ少なかれそういう動きはあった。悲劇詩人によるオレステス伝説の取り扱いにも見受けられる。オレステス伝説については、章をかえて説明するが、エウリピデスの作品では神への懐疑心が見られる。「エレクトラ」を例に取ってみよう。

オレステス ああ、ポイボス(注:アポロンのこと)よ、あなたはまった く愚かなことを告げられた。(971)
カストール あの方は(注:アポロン)、賢い方であるのに、お前には賢 くない神託を下された。(1245)

 アポロンの神託でアイギストスと母のクリュタイメストラを殺すように命じられたオレステス。これは、オレステスが母親殺しを躊躇する場面と、クリュタイメストラを殺害したあと、デウス・エクス・マキーナで神が登場する最後の場面の二カ所である。このように、エウリピデスは、神を盲信するのではなく、神が絶対ではないということを人間の視点から訴えている。また、このような血には血を、の繰り返される殺害悲劇を促したアポロンを批判し、人はもっと理性的に考え行動すべきだということを暗に示している。
  アイスキュロスの「オレステイア」では、アポロンの神託が正しかったのか、「エウメニデス」において裁判が行われるが、結局は神託を擁護する最終決断を示している。神を非難する台詞もあるが、それらはアイスキュロスの考えというよりも劇的葛藤を高めるための台詞とみなしたほうがいいだろう。エウリピデスの作品では、アイスキュロスほど神に弁解する隙を与えていないし、神に運命を左右されたオレステスとエレクトラの悲劇に焦点を当て、明らかに人間側の立場で描いている。このように、人々の信仰心も徐々に変わっていったと思われる。その際に悲劇の上演は確かに役に立っただろう。というのも、劇場は新しい価値観に出会ったり、諸々の問題を再吟味する場でもあるのだから。この要素は今日も変わりない。ギリシアはその要素が非常に濃かった。アテネ市民は、裁判好きであったし、市民が集まって討論することは日常茶飯事であった。そのなかで劇場は中心的役割を担っていたのだ。
  ソフォクレスの「オイディプス王」のように、オイディプス自身は英雄であり立派な王であるのに、神託どおり赤子のオイディプスを殺さなかったばかりに、父親殺害と近親相姦という罪を犯す運命になる。この不条理の世界、どうにもならない人間の運命は、これこそ悲劇の要素であるが、観客は大いに考えさせられたに違いない。
  ギリシア人の宗教的意識がどのように移り変わっていったのかはっきりさせることは不可能に近いが、ゼウスやアキレスらオリンポスの神々が現れるのはホメロス以降であることは間違いない。Aylenはホメロスの「イリアス」以前にはゼウスらの名は現れていないと指摘している。(1964, p.17) そして、「イリアス」「オデュッセイア」は、アジアと中東における「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」のように、ギリシアに広く伝播したと考えられる。そして、信仰すべき神というよりも、「人の力を超えた存在」として民衆の中に定着する。そして、悲劇の競演の中でテーマとして取り上げられる歴史の中で、徐々に「人間個人」に対する考え方が深くなっていったに違いない。
  しかし、悲劇が示しているように人間は自由ではない。自由へ向かう力と自由を抑制する力が存在する。その不条理な狭間で「モイラ」という言葉は分析する上で重要だ。「モイラ」は「運命」に道徳観を加えたような言葉だ。この「モイラ」を越えようとする行いは、神の手痛い天罰をくらう。そして、この「ギリシア人の道徳観の発達は、神々が過ちに対する罰を与えるものだという一つの機能を心に刻ませ、最終的にはこのようなひどい手厳しさを有する宗教観を放棄する過程となる。」(Aylen, 1964, p.24) Aylenは更に、このような宗教観の変化がBC5世紀の終わりにはあり、懐疑論の高まりによって、オリンポス神は宗教的道徳的な経験から離反していったと述べている。(1964, p.25) 

 もう少し、アテネの社会に踏み込んでみることにしよう。身分差別・性差別については先に触れたが、当時の社会は厳格な男性優位が成り立ったていた。そのため、演劇の上演においても、すべて俳優は男性で、女性が出演することは許されなかった。「女性は誰も直接的に作品の執筆や、劇団、上演、競演の審査に加わることは出来なかった」(Goldhill, 1997, in Greek Tragedy, p62) アテネの女性は慣例上「市民」としてみなされてはいたが、彼女たちは完全な市民権など決して認められてはおらず、政治的な集会や法廷に参加することはできなかった。(Cartledge, 1997, in Greek Tragedy, pp.26~29)
  しかし、戯曲の作中では当然女性は登場するし、その役割も大きい。このような女性差別の問題を扱った作品としては、特にアリストファネスにおいて有名で、アリストファネスは喜劇として風刺を込めて取り扱ったが、悲劇においては、より難しい分析が必要になる。この論文で、エウリピデスの「トロイアの女たち」や「メディア」など個々の作品をその観点から分析することはしないが、アイスキュロスの「オレステイア」については触れておこう。トロイへ向かう航行を成功させるためにアガメムノンによって犠牲にされた娘のイピゲネイア、そしてアガメムノンとともに殺害される予言者カッサンドラ。この二人は、生きる権利を行使することもできず悲劇の死を遂げてしまう。このように、女性には身の破滅の象徴として描かれることが多い。強い意志を持ち、常軌を逸した恐ろしい女性としてみなされるクリュタイメストラにおいても同様で、彼女も娘の死という取り返しのつかない事実に怒り苛み、さらに実の息子によって殺されるという非常に苦しく救われない死を迎えることになる。
  女性は脆く弱い存在であるがゆえに、悲劇においてはしばしばのっぴきならない苦難に出くわす。そして、苦難に抵抗する力無く、犠牲者と化す。
  立場も男性と比べて弱い。「エウメニデス」において、オレステスが有罪か否かを問う裁判の判決は同票に割れ、結局オレステスは無罪放免となる。アポロンの言い分−母は植え付けられた男の子種を守り産み落とすことが役割で、親とはいえない。父こそが真の子の親である−が正当化される結果となる。久保はこの言い分は詭弁で、アテネ市民でも納得したか信じがたいと述べている(1990, pp.328~329)が、少なくとも同等な立場だとみなされることはなかった。しかし、決して卑しいものとみなされていたわけではない。それどころか、悲劇において女性は神の代弁者の役割を果たすケースがある。神に仕え、聖なる役割を果たすのは男性よりも女性であった。
  また女性は男性よりも感受性が強い。そのため、愛や運命の苦しみは男よりも勝るし、神懸かりのカッサンドラのように自分自身を何者かにのっとられることもある。女性は、外部からの影響にも弱く、これに対抗するすべがない。このことが身の破滅に拍車をかける。男性は、男根が生活の再生を象徴しているように、生命のエネルギーに満ちているが、女性は逆に脆弱で死のイメージを伴う。
  ここで、現代を振り返ってみよう。確かに女性差別は今尚ある。同等な立場だと法律に定められていても、現状では女性は弱者の立場にあることは確かだ。例えば、イギリスでは、女性労働者の賃金は同条件の男性のそれより低い。しかし、アテネのように女は女であるだけで市民権も名義上のものでしかないという状況とは異なる。世界の歴史をみても、劇場に女性が登場するのはかなり後になってからで、周知の通りシェイクスピアの時代は男優のみであった。演劇の世界を男性が掌握していた時代は非常に長く、日本の歌舞伎のように今でも女優を受け入れない芸能は残っている。だが、現代演劇においては男性も女性も差別なく参加している。当たり前のように男性は男役を、女性は女役を演じている。この点の変化は不具合にならないだろう。シェィクスピアをとってみても、かつて男性だけで演じられた作品ではあるが、男性でないといけないという理由は潜在的にはなく、むしろ女性を起用した方が遥かに自然で劇的効果も高い。
  女性の自立という点で演劇の歴史を変え、近代劇の発展に貢献したのがイプセンであるが、それと似た貢献を果たしたのはエウリピデスであった。エウリピデスは女性を類型的な存在として描くのではなく、感情面に渡っても緻密に描いた。女性像が現代的普遍性を有しているのも、エウリピデスの作品が最も現代劇になりやすい理由の一つである。例えば、「エレクトラ」において、クリュタイメストラは「夫が他の女と過ちを犯し、妻をないがしろにすれば、妻も夫の真似をし、別の愛人をもちたくなるものだ(1037-1039)」と弁解する。この台詞は女性の気持ちを良く表している。男性と同等の意志と自立をもつ存在として描かれているからだ。また、この台詞が現代においてもあてはまることは明らかで、男性優位の時代で書かれたものとは思えぬくらいである。(ギリシア悲劇の現代性については以降の章で詳しく分析する)

 アテネは民主主義である。しかし、この民主主義という言葉は現代で使われている民主主義とは異なる。女性差別、身分差別を前提とした上での言葉だ。アテネにおいて、奴隷制度は社会の基盤であった。誰もが自由で思い通りの人生を歩めるわけではない。それは、高い身分のものであっても、神でさえも同様である。だからこそ、自由を求めるし、望みのものを手に入れようとする。そこには勝利と敗北、自由と不自由、希望と絶望といった両極の要素が生まれる。これらの要素は人生においてだけではない、悲劇においても本質的である。悲劇にはいつも両極の要素が存在するのだから。両極の要素に焦点を当てることは、悲劇を理解する上で非常に重要である。
  手近なところでは右と左という両極。異なる文化にも見られることだが、「ギリシア人は右側を吉兆となみし、左側を凶兆とみなした。右手は挨拶や献酒の際、嘆願の儀式で使われた。犠牲の前には、人は右側へ回り祭壇を囲んで円を作った。」(Wiles, 1997, p.135)(see G.E.R.Lloyd, 1962, pp56~66)また、太陽が劇場の右側から昇ることから、舞台での全ての動きは右側から始まったとアリストテレスは主張している。すなわち、ここに東と西という両極も成り立つ。劇場の方向は日本の能舞台とも似通っていて興味深い。両方とも太陽光を利用していただけに共通した理念があるのかもしれない。付け加えておくと、客席も右側は身分の高いものたちが、左側は低いものたちが座った。(Wiles, 1997, p.144) このように、右と左の感覚は深い意味を持ってギリシア文化の中に定着していた。劇場においては、さらに役者と観客が相対する場としてあるし、役者が劇世界と現実世界を行き来する場、オルケストラとスケーネも両極といえるだろう。またこの二つは違う見方もできる。すなわち、オルケストラは観客に明らかになる表の部分で、スケーネは観客に隠れた裏の部分という見方だ。スケーネは、確かにアクティングエリアを離れているため舞台袖や楽屋の解釈をされるが、スケーネはもっと重要な意味がある。「オレステイア」で、アガメムノン、カッサンドラ、アイギストス、クリュタイメストラが殺害される場はスケーネである。これは、ショッキングな場面を見せないための配慮でもあるが、人に見られない裏を使うことで、人間の裏の残酷さや邪な本心の存在を強く印象づけている。それはマスクにもうかがえる。悲劇の仮面のもつ意味については様々な論があり明確ではないが、おそらく人間の持つ表と裏の象徴的意味もあったのではないかと想像される。さて、ここに、人間の表と裏、生と死というキーワードが浮かび上がった。
  「死」は、ギリシア人そしてギリシア悲劇において極めて重要である。死がギリシア悲劇最大の象徴だといっても過言ではないだろう。観客を圧倒する殺害劇はまさに死が宿命的に人から離れないことを強烈に我々に印象づけている。現代悲劇における死は、納得のいく因果があるが、ギリシア悲劇はしばしば納得のいかない不条理な死がある。例を挙げれば、「ハムレット」における死、ハムレットの父はクローディアスの権利欲によって殺されるし、オフィーリアは愛するハムレットの狂気と心変わりによって精神に異常をきたし溺れ死ぬ。クローディアスはハムレットの復讐に倒れ、ハムレットはオフィーリアの恨みを晴らそうとするレアティーズの毒にかかって死ぬ。おそらく、納得のいかない死はないはずだ。一方、ギリシア悲劇の死はしばしば現代人には理解できない。「オレステイア」におけるイピゲネイアの犠牲死や絶えないアトレウス家の血で血を洗う殺害劇もそうだ。神に航行の無事を保証する力があるのなら、犠牲による女子の死を求めるまでもなく、その力を発揮すればいいものを、わざわざ犠牲を要求することで争いの種を作るのはなぜか。また、どうして殺人に対するモラルに欠如し、話し合いなどの宥和策を取らず、同じ過ちを繰り返すのか。更に、「オイディプス王」では神託を守らなかったばかりにライオス王は運命的に息子に殺されるし、数多くのテーバイの民たちはオイディプス王が穢れとみなされたために疫病で死んだ。なぜ罪もない人々が死の道連れとされてしまうのか。なぜ、英雄として民衆に迎えられた男が、過去のただ一つの事実が原因で悲劇に陥らなければならないのか。同じように、エウリピデスの「ポエニケーの女たち」ではオイディプスの呪いによって、王位の争いが起き、王子二人が共に死んでしまう。このように、ギリシア悲劇では神が原因になる場合が多く、それらは不合理に満ち、現代人には理解しがたい。また、オレステス伝説を見てもわかるように、怒りや恨み、悲しみの度合いが非常に強く、正義という名の下なら肉親でも殺す。しかし、その正義も不条理に満ちていて、「何も殺さなくても」という感情に駆られる。このように殺害劇を繰り返す人間像には、現代の猟奇殺人や異常な犯罪劇を想起させる。客観的に納得できる理由がないまま、恐ろしい行為に至ってしまう犯罪者が多く、恨みを受けていたわけでもないのに不意に悲劇に突き落とされたり、恨みを受けていても、同じく「何も殺さなくても」と思える些細な理由で、殺される犠牲者が目に見えて増加している。一般的には理解できないことが、実際に我々の周りで起こっている。そのなぜかという疑問がギリシア悲劇にも同様に見られるから、我々は2500年前の時代を超えた実例に真理を求める。命が何よりも重いものだとわかっているからこそ、その命が軽んじられたとき、なぜかと問いただす。ギリシア悲劇と現代の犯罪社会は同じような疑問を感じる場合がある。この不思議な一致点は、ギリシア悲劇の魅力でもある。
  ギリシア人には、人間を超えた力に対して本能的な恐れがあった。それは神であり、死をもたらす人間の憎悪であり、また自然でもある。自然に囲まれた生活、自然との調和が我々現代人よりも意味深かったことは、劇場が野外劇場であり、自然が一種の舞台装置であったことや、豊穣を祈願して祭りを行っていたことからも推測できる。しかし、自然は時に残酷である。火事や地震、津波などで罪もない人々が死ぬ。自然には慈悲がなく、不合理である。ギリシアの神々は自然と、あまりにもよく似ている。共に人間の力の及ばぬ存在であり、非常に残酷な行いをする。もしかしたら、ギリシアの神々は自然を理解し、自然と対話し、自然の恐れを知り、自然と向き合おうとした結果誕生し定着した潜在的な思想なのかもしれない。そして、自然との関わりの中で、人間の限界と弱さを知り、また人間の尊厳を見つけたかったのかもしれない。Steinerは、「悲劇は我々に向かって、理性と秩序と正義の領域は恐ろしく限られていること、また我々の科学や技術の力がどれほど進歩してもこの領域が広がりはしないことを教えてくれる」(1961/1980, p.23)といっている。その通り、神々が自然の具現化であるならば、現代においてもこの理論は通じる。わたしは、ここにもうひとつのギリシア悲劇の現代性を見いだす。自然破壊が深刻な今日、我々はギリシア悲劇を通じて、謙虚な気持ちを取り戻すことが出来る。人間中心の社会は変わらなくとも自然への畏敬を忘れてはならない。人間を超えた存在を知ることで、より人間を知り、傲慢さを改め、より尊厳を持って高めてくれる。
  しかし、あまりにも覆せない圧倒的な力の前にある、潜在的な敗北と不条理さは、受け入れられるものだろうか? 苦しみから解放されたいと思うのが普通であるし、不条理な死に納得いかない思いをするのは当然である。そんなとき、人は無能の自覚から絶望感に駆られ、酒に救いを求め、ついには自殺を遂げたりする。(Szeliski, 1962/1977)
  ニーチェはギリシアのペシミズムとオプティミズムを論じたが、わたしの考えでは、上記の、人間を超えた力に諦め受け入れた人の考えがオプティミズムに、諦められず不条理に悩み苦しむ人の考えがペシミズムの側面になっていったと推測する。いずれにせよ、死の観念が強固に結びついたギリシア悲劇の上演を観て、観客たちが何を思ったのか我々が知ることは出来ない。絶望する人間もいれば、より人生を精一杯生きようとした人間もいたはずだ。
  しかし、ギリシア神話の神々と自然が潜在的に結びつきを持っているという考えは、ギリシア悲劇がなぜ残酷で非情に溢れているのかという疑問を解決させる答えとなるだろう。そして、不条理に溢れた死をいくらか理解することができるだろう。また、現代の上演においても、ギリシアの神々を、異国の神話と敬遠する理由は弱くなる。自然のメタファーであるならば、どの国であっても、どの時代であっても現代性を持つ。20世紀の後半になって、ギリシア悲劇の上演が盛んになった裏には、知らず知らずのうちにそのような現代的共通点に惹かれたということが推測できる。
  神と人間の関係は、そういうこともあってキリスト教社会とはっきりした相違が指摘されている。それはキリスト教以外の宗教においてもいえる。だから、ギリシア悲劇を上演するプロダクションも、また観客も神を、自身の信じる宗教の神と同様に重ね合わせて見ることは間違っている。信仰の対象ではなく、あくまでも神話であり物語であるから、我々は例えば神々が自然と相通ずるものがあるというように、メタファーを得ることくらいしかできない。それが聖史劇など宗教劇とは違う点で、確かにEasterlingが指摘するように、礼拝的な筋と主題はアイスキュロスの作品に見られ、ヨーロッパの聖史劇のそれと共通点がある(Easterling, 1997, in Greek Tragedy, p.47)だろうが、「儀式は結局の所ストーリー」(Szeliski, 1962/1971, p.76)でしかなく、多くの点で根本的に違う。特に、メタファーを得られるが故に我々は人間の立場になって考え、自由な意見と感想を抱くことが許される。
  また、人と神の比較において、本質的に違う点は、神は永遠性を持っているが、人は永遠でなく必ず死がつきまとうということだ。ギリシア悲劇は神と人間が登場する物語だから、この違いから目を背けることが出来ない。だからこそ、「死」の感覚に満ちている。
  ここに永遠性(immortality)と非永遠性(mortality)という両極のキーワードが更に浮上するが、死するモイラが平等に人間にある以上、永遠性を手に入れることは出来ない。すなわち、非永遠、限りある命を自覚することで、彼らは自分の人生をペシミスティックにもオプティミスティックにもする。また、自分の人生を哲学的にも道徳的にも、様々な角度で考え直す。ギリシア悲劇は観客の人生観をも揺さぶる力を持っている。そして、人は永遠でなくとも、人にとっての永遠の命題「人はなぜ生まれ、なんのために生きるのか」を提示する。これは極めて重大な普遍的テーマである。このテーマは悲劇の中核においてつきつけられるだろう。「オレステイア」において、オレステスは父の復讐を遂げることを生きる最大目的に掲げる。このように人は目的を持って生きる。目的を持つことはこの永遠の命題に対する最も確かな答えだ。だが、オレステスはその目的を遂行することで、母親殺しという報われぬ罪を背負い、オレステス自身も深く傷つき後悔する。そしてこの物語は、それ以後のオレステスの人生を語らない。それもそのはず、オレステスの生きる目的が果たせられたとき、それは彼の人生の終幕でもあったからだ。深い生の後悔で生涯が埋まるのなら、人はなぜ生まれたのだろうか。オレステスはなんのために生きていたのか。このように、ギリシア悲劇はこの命題の答えを否定する。だからこそ、人はこの命題に対峙し苦しむ。「非永遠性から逃れる最も抜本的な解決法は決して生まれないこと」(Easterling, 1997, in Greek Tragedy , p.53)かもしれない。だが、徐々に神を否定する時代に移り変わってゆき、おそらくこの非永遠性に対する絶望的な思いも変わっていったことだろう。
  この最大級の命題は「個人」に目を向けさせる。すなわち、生きる理由を問いただし、おのおのがその答えを探す。近年になって、ギリシア悲劇が頻繁に上演されるようになった一つの理由はこれであろう。現代人は「自分がどういう存在なのか」「なんのために生きているのか」を探求する傾向が強い。それは書店に並ぶ自己啓発本や初心者向けの哲学書らを見れば一目瞭然だ。この、個人すなわち人間の視点から人生を模索する動きは、ギリシアの文化を発達させることに寄与しただけでなく、現代においてもギリシア悲劇は同じような効果をもたらす。
  ギリシアにおいて、個人は社会の中の一員であり、決して傲慢な振る舞いをよしとはしない。とりわけ、古い掟を破ることや、人の行いを外れる行為、また神々に不敬を働くようなことは許されない。守るべきものを守るという意識が高いから、「オレステイア」のような題材が上演され、市民の意識を高めさせる。ギリシア人は、人間の道を外れる行為には厳しい天罰が下り、身を滅ぼすことになるという観念があるから、言い換えれば、多くの人は生きる上で限界と束縛を感じて、中庸を保ちつつ謙虚に生きたに違いない。ギリシア神話はそういった道徳観を養うのに格好の材料であったといえるだろう。だが、人がなんのために生きているかまで教えてはくれない。それは一人一人が見つけなくてはいけない。生きる上では、誰もが挫折を経験するし、生きる目的を見つけられずに苦しみもする。限りある命を、どう燃やして生きていくのか。ギリシア悲劇は問題提起してくれる。
  ギリシア悲劇は、確かに我々にとって理解しにくい部分、想像しづらい部分がたくさん存在するが、アリストテレスの「詩学」が非常によく演劇の本質的要素を説明しているように、現代においても通じる普遍性を豊富に持っている。その普遍性は幅広く、演劇という芸術形式のそれだけにとどまらず、哲学や道徳観、人生のパースペクティブにおいても生きた示唆を与えてくれる。このスケールの大きさが、ギリシア悲劇の大いなる魅力である。

 

2.「オレステイア」−「The Oresteia」−

 BC458年に書かれたというこの作品は、ギリシア悲劇を理解する上で一番の適材である。三部作という形式で残存する唯一の作品であり、血で血を洗う殺害劇が色濃く描かれ、神と人間の対立があり、正義と罪が復讐劇のなかに混ざり合い、女性の自立が強く出、更に人間の人生の意味を問いただす。非常に深い作品である。

 三部作の第一作目「アガメムノン」は、最も動きのあるパートで、単独の作品としても充分骨格がしっかりとしている。しかしながら、オレステスの登場はなく、筋の中心は王妃クリュタイメストラが夫のアガメムノン王を殺すことである。
  冒頭は、見張り役の長い台詞で始まる。これから起こる激しく悲惨な悲劇を暗示する導入でもあり、この物語の背景を説明する導入でもある。見張り役の男は、朝の訪れとともにトロイ戦争での、アガメムノン王勝利の知らせを受ける。そして、この知らせはアルゴスの王城にいるクリュタイメストラの元まで届けられる。しかし、この10年に及ぶ長いトロイ戦争の結末は手放しで誰もが喜ぶ勝利ではなく、アイロニーに満ちている。兵士たちやアルゴスの民は、この戦いで疲弊しきっていたはずだ。戦争の苦難から解放されるだけでなく、トロイからの膨大な戦利品と奴隷がアルゴスに潤いをもたらす。まさしく、アガメムノンは英雄として凱旋帰国を果たすことになるのだが、これを疎ましく思う人物が城にいる。それがクリュタイメストラである。クリュタイメストラは夫アガメムノンに憎悪と恨みを抱いているだけでなく、夫不在の間に作った愛人アイギストスの存在がある。アガメムノン王の勝利の帰国は、クリュタイメストラの殺害計画開始を意味づける。勝利をアルゴスまで伝えたかがり火は、栄光と幸福の象徴でもあり、昔年の恨みに火をつける象徴でもあるのだ。
  次のパロドス(コロスの登場歌)では、あらゆる祭壇に供え物をし祈願するクリュタイメストラが不吉な予感として語られ、また、アガメムノンと兄弟のメネラオスがトロイを滅ぼすであろうが、そのときに神の祟りがあるかもしれないといった予言を語る。こうして勝利とはいえ、吉凶判別のつかない波間の時点に状況が置かれていることがわかる。このパロドスで繰り返されるリフレイン「哀れ、哀れ、というものはいえ、だが、良き方が勝ちまさりますよう」(121/139/159)という言葉がある。これは、滅ぼされる方は哀れではあるが、良いものが勝利し、凶より吉が上回ることを希望していると推測される。
  予言はギリシア悲劇にはつきものである。そしてこれらの予言はことごとく的中する。それというのも神の言葉であるからだ。不思議なことに、これほど予言が絶対的な力をもって描かれている割に、作中の人物たちはあまり信じようとしない。このケースのように、不安の題材として描かれたり、「オイディプス王」のテイレシアスのように老人の戯言と扱われたりする。予言は決してギリシア人の価値観の中で強い存在であったわけではなく、神の絶対性と人間の愚かさを浮かび上がらせ、また劇的急転をもたらす作劇の有効な手段として適当であったのだろう。現代人にとって、これと類似するものは占星術などの占いであるが、神が与えるものでないという点で根本的に異なる。しかし、人が自分の目指す道が正しいのか、また未来は明るいのか、困難は待ち受けていないだろうかと知りたがる点では同じである。
  さて、ギリシア軍の勝利を聞いたクリュタイメストラが登場したとき、彼女はわざとらしくも喜びを現す。すでにこの女の二面性が現れている。というのも、確かにトロイが滅び、莫大な戦利品がもたらされることを考えれば嬉しさこの上ないであろうが、アガメムノン王帰還は疎ましい。だが、妻の立場であるから、表向きは従順で良き妻を演じなければならない。そして、自分が殺害を企てているということを悟られずに振る舞わなければならない。「妻たるものに、これ以上嬉しい日が、またとありましょうか」(602)「家にはお発ちの時と同じ、ご信頼にたがわぬ妻が、 お帰りをごらんのとおり待っております」(606-607)「もとより他の男から、悦楽やとかくの噂を、身に受けた覚えはなく、」(611)などと平気で嘘をつく二枚舌を披露する。
  かくして、苦労話を手土産に兵士たちは帰還する。帰国の途で嵐に遭い、命からがら辿り着いたことが布告使の説明でわかるが、戦争の砲火も自然の脅威さえも乗り越えた英雄が、この後、弱き女の手によって息絶えることになるのだから、コントラストがはっきりと出ている。
  次の第二スタシモンでのコロスの歌では、「オレステイア」の中核を成す、血で血を洗う一族の運命を示唆する部分がある。これは多分に作者から観客へのメッセージが含まれていると考えられる。「私は思う、神を神とも思わぬ所業が あと、さらに大それたものを産みのこす、 おのれの素性によく似た子らを、 おのれの分を良く守る家々は、 いつも、良い子を授かる運命にめぐまれている。」(758-762) このような台詞からも、アイスキュロスがひときわ神を崇めていたことをうかがいしれる。
  また、同じくこの箇所で「ヒュブリス」という重要なキーワードが出現する。「ヒュブリス」とは、神々への不遜という意味である。「またヒュブリスはとかく子を産みやすいもの、 老いたのちにも、人間の悪行の中に 若いヒュブリスを産み落とす」(763-765) 神に逆らうような人間の傲慢は、子へとも伝わりやすいと述べている。そして、傲慢な行為は繰り返される。まさしく「オレステイア」のドラマの中心である。クリュタイメストラは、夫を殺害するという罪深い行為をしてしまったために、自分の子供に殺される羽目となる。コロスの台詞は、観客の代弁者の役割をこなすために、ここでの台詞は教訓として観客の多くに響いたであろう。
  アガメムノンが城に帰還し、クリュタイメストラは、どれだけ無事を待ち望み、理解ある貞淑な妻であったかをアピールする。そうやって、夫を油断させようとするが、アガメムノンの方も油断しないようにか、華美な出迎えを咎める。10年ぶりに再会する夫婦の会話はこのような言い合いであるから、夫婦の愛はとうに冷えてしまっていることがわかる。クリュタイメストラが出迎えに道に敷き詰めるよう赤紫色の、即座に血をイメージさせる織物を用意するが、アガメムノンが言い合いに妥協してここを通ったとき、クリュタイメストラのペースに入ったことを知る。本来ならば男性が持つ支配力を女性でありながら、しかも一国の王かつトロイ戦争の英雄から、謙虚な態度を持続したまま奪おうとするところが恐ろしい。
  アガメムノンは、妻に気を遣うこともなく、戦争で得た女カッサンドラを紹介する。カッサンドラは、周りのものにはわからない言葉で、ひたすら叫び声を上げ、アポロンの名を呼ぶ。彼女は、自分が殺害の道連れにされることを知っているのだ。カッサンドラは見えないものが見える女である。だから、アトレウス家に隠された血で汚れた歴史も見抜かれている。逆に、隠れた殺害計画はアガメムノンに見抜かれないまま、まさに遂行されようとする。殺害の現場はカッサンドラの予言とクリュタイメストラの告白によって観客に語られる。ギリシア悲劇では殺害現場を直に観客に見せないから、このような工夫が成される。
  現代の上演では、殺害の現場を見せる演出も可能だろう。古代の演劇は語りが中心であったが、現代はより動きのある演劇に変化している。そのため、ギリシア悲劇のように語りが長い作品を、いかに観客が退屈しないように動きのあるものにするかは演出上大切なことだ。この場面のように、実際はオルケストラで行わなかった劇的行為も、観客に視覚的に見せられる。しかし、語りで観客に憐憫と恐怖をもたらす作劇の工夫が随所に成されていることを忘れずに演出しなければならない。例えば、このカッサンドラの場面では、アガメムノン殺害の様子を語るだけでなく、物語の背景となるテュエステスが子供が食べた話など(1097/1242)、恐怖の過去をも持ち出して、より劇的効果を高めている。 
  クリュタイメストラが、女性でありながら男性よりも優位に立ち、神をも恐れぬ行為に及んでいる今、カッサンドラはその台詞から実に対照的な境遇であったことがわかる。というのも、カッサンドラは、卓越した予言力なゆえにアポロンから愛されていたが、肉体関係を拒絶したために、予言を誰も信じてもらえない状態にされた。個人の意志でNOをいうことも許されず罰を受ける、大きな立場の違い。ここに、女性の弱さ、人間の弱さが象徴的に現れている。カッサンドラが予言をしながらも、誰も殺害の進行を止められないし、アガメムノンの悲鳴を聞いたあと、コロスたちはどう対策を打つべきか話し合うが、虚しくなにもできない。あまりにも人は無力なのだ。クリュタイメストラのように巨大な力を持つ女に立ち向かうには、血筋良い英雄の息子オレステスしかいない。「尾にも頭を持つ大蛇」(1233)「岩陰に隠れ住み、船乗りをからめとる、スキュラの化身」(1234)「二本足の牝の獅子」(1257)などと称されるほど、クリュタイメストラは人間離れした恐ろしい化け物的存在として描かれている。これに対抗するには英雄か神以外にない。オレステス英雄伝説を生んだ背景には、基本的に人間は無力だという意識が存在する。
  興味深い見方がある。現代では罪を犯せば、その償いをするために刑務所に服役するし、更正が図られる。しかし、ギリシア悲劇の場合、起こしてしまった罪は死か、死に相当する罰でしか償うことが出来ない。アガメムノンがトロイ戦争で死んでいれば、このような悲劇は起こらなかった。戦争でどれほど、誉れ高い行いをしても、過去の一つのヒュブリスで死の運命を購うことが出来ない。また、クリュタイメストラも、自ら正義を語るように、アガメムノンの死後、アイギストスとともに以前に増して良い政治を行えば、結果的に多くのアルゴスの市民のためになり、善行を尽くしたと正当化されなくもないが、その成果を示す暇なく、オレステスの復讐にあう。「悲劇とは取り返しのつかないもののことだ。」(Steiner, 1961/1981, p.23)
 
  第二部目の「コエポロイ」の中心はオレステスの復讐である。オレステスは、従者ピュラデスを従えて、長い流浪の旅から故郷アルゴスに帰ってくる。父の記憶はおそらく皆無だろうが、強く父を慕っている。この理由は父権社会の裏付けなくしては語れないだろう。実の手で育てられていなくとも親という事実がなによりも固い絆となってオレステスとアガメムノンを結びつけている。また加えて、正義が尊ばれる社会であったことも大きな要素だ。特に王家の血筋に生まれたものの正義心は厚い。自分の父親を殺されておいて、おいおいと暮らしているわけにはいかない。常に、アガメムノン王の息子ということがつきまとう。オレステスが父王の復讐をすることは宿命的なのだ。現代劇ならば、必ず父親との接点を明示し、父の死を悲しむ理由が必要になる。過去に愛情を受けた経験を語らなければ、復讐へと向かう行動が不可解で釈然としない。オレステスは、アガメムノンから愛情を受けていようがいまいが、アガメムノンが殺害された時点で、正義と息子の名の下に、その敵を討つ宿命を受ける。ここが、ギリシア悲劇的なところだ。また、オレステスが復讐に向かうもう一つの大きな理由が、アポロンにそう命じられたということだ。神に逆らうような暴挙を行ったクリュタイメストラとアイギストスに対して、神が制裁を加えようとしている。その矢玉に上げられたのがオレステスだ。神の命令に逆らうことは出来ない。逆らえば、「さんざん苦痛をなめたすえ、命によって、その償いを支払うことになろう」(275-276)とまで脅されているため、神から受けた重大な任務をなんとしても果たそうとする。これも、現代劇では考えられない理由であるが、ギリシア悲劇においては誰もが納得する理由なのだ。
  さて、墓場で生き別れになっていたオレステスと姉のエレクトラが再会する。別れたとき、オレステスは赤子であった。アガメムノンがトロイ戦争の遠征に出ていた事実を考えると、オレステス、エレクトラをいつ身籠もったのかは、非常に謎なのだが、とにかく別れ離れになったとき、その後オレステスはエレクトラの顔がわかる程度、エレクトラはオレステスの顔がわからない程度の年齢であった。二人の姉弟が、生まれたときから両親の愛情を受けたというエピソードはないし、オレステスとエレクトラも特に仲がよかったというエピソードはないのだが、家庭生活の愛着云々ではなく、家族の結びつきというのは強く、見えないボンドで宿命的に結びつけられている。
  エレクトラがオレステスだと確信するまでに、いくつかのプロセスを経る。はじめは墓に置かれた一房の髪の毛。この色が、エレクトラと同じ色だったことから、オレステスではと推測がされる。しかし、幸せなことほど、容易には信じられない。更に確証を求めるエレクトラは自分のものと一致する足跡を発見する。オレステスは自分の存在を知ってもらうために、エレクトラの前に現れ、かつて彼女に織ってもらった織物を見せる。これによって、エレクトラはオレステスだと信じる。この判別の仕方には疑問点を感じざるを得ない。髪の色は微妙であるし、弟の顔も知らないエレクトラが、髪の色を自分の髪とそっくりだからといって判別できるだろうか。また、足跡が似ているというのは明らかにおかしい。男と女とでは足の大きさは違うし、それで弟だと見なすのは、エレクトラが期待で頭がいっぱいになっていることを差し引いても不可解だ。このような設定の甘さが「オレステイア」には見られる。エウリピデスの作品「エレクトラ」では、髪の色、足跡、織物ともに、馬鹿げた考えとしてエレクトラは否定し、最終的には、オレステスの眉の上の傷を証拠とする。
  復讐者の脅威をクリュタイメストラとアイギストスが感じていないわけではない。常に恐怖と不安を抱いた生活をしているのだ。その恐怖がクリュタイメストラの夢となって現れた形が「蛇」の比喩である。(523-549)蛇を産み落とし、蛇に乳をやろうとすると、乳首を咬まれ、乳と血の固まりを一緒に吸われたという話で、「オレステイア」作中に使われている比喩の中でも特に研究者の注目を集める。産んだ子供を育ててしまっただけでなく、手痛い仕打ちを受ける。愛する子供が、今は毒を持ち、つけねらう蛇同然の忘恩の徒に変貌していることを暗示している。蛇の挿話は「オレステイア作中の家族間確執という主題の中心である。」(Roberts, 1975, p,153) というのも、家族間の愛が憎しみに変わり、子が母を破滅に追い込む式図がここに見えるからだ。更に、Robertsは、蛇が原始的に男性性器と結びつけられることにも目をつけている。女でありながら男らしさを持つクリュタイメストラに対し、対抗できるのはエレクトラではなく男のオレステスである。さらに、乳房という女性の象徴を咬まれることで、母親の弱さとクリュタイメストラが女であることを暗示している。また、クリュタイメストラが殺されるとき、乳房を見せてオレステスを育てた母親であることを示して懇願するが、蛇の毒牙ならぬ剣の切っ先に倒れる。夢話はこのシーンにも通じている。
  この話を聞いたオレステスは、自らその蛇が自分であり、夢の通りに願いが叶うことを祈る。そして、はっきりと「私が蛇になって、彼女を殺す。今その夢が語るとおりに」(548-549)と強い決意を述べる。ここでは、ためらいや神託への疑いは見えない。アポロンを「偽ったことのない予言者」(558)と信じきることで、余計な迷いを抱くことなく復讐を正当化し、行動力を導き出している。
  さて、オレステスは、ピュラデスと共に旅のものと偽って、城に行く。そこでクリュタイメストラが現れたので、オレステスが死んだと伝える。これを聞いて、彼女は悲嘆の声を上げる。

クリュタイメストラ ああ、ああ! 私は崖から突き落とされた!
  おお! この家に食らいついて離れぬ、呪いの女神よ、
  なんと、執拗に追い続ける、遠くに大事に隠してあるものまで!
  遥か彼方から、狙いあやまたず矢を放ち、獲物を仕留めては、
  次から次に身内のものを奪い取る、誰よりも哀れな私から!
  今度はとうとうオレステスだと! あの子はいつも賢い考えを持ち、
  それで破滅の泥沼に足を掬われなくて済んでいたのに、
  あの子への希望が、この家の狂気の舞を静める医者でもあったのに、
  もうこうなれば、それも裏切り者の仲間に名を連ねるがいい!
                            (691-699)

ここの台詞を読むと、クリュタイメストラがオレステスを愛していることがうかがえる。彼女にとって息子は唯一の救いであった。しかし、皮肉なことに、自分が撒いた種を刈ってくれると期待したオレステスに、自分が刈り取られる結果となる。医者と見たてたオレステスは、医術の神でもあるアポロンの命によって、このアトレウス家の殺害劇を継続させる。だが、クリュタイメストラは内心安堵しただろう。確かに息子を失う悲しみは母親としてわかるが、それによって自分の命を脅かす存在がなくなるのだから。
  一方、アイギストスは用心深い男として描かれている。オレステスが死んで最も安心するのはこの男であろう。自分の手を汚さずに、アガメムノン殺害を達成し、アルゴスを制している今、脅威となるのはオレステスだけである。アイギストスは、「その使いの男に会って、よく吟味をしてみたい」と冷静に対応している。しかし、これが災いとなり、あっけなく殺される。アイギストスは、男であるが、クリュタイメストラと逆に女性らしさを持っている。彼女と対照的に実行力に欠け、感情を高ぶらせたりすることなく、落ち着き払っている。女性的な弱さを垣間見させる男なだけに、オレステスと戦うというような勇敢な描写はされず、あっさりと殺されてしまう。
  アイギストスが殺されたとき、クリュタイメストラは真実を知る。武器を持つオレステスを前にして、彼女は必死に命乞いをする。オレステスを育てた乳房を見せ、実の母親だということをアピールする。この時、はじめて復讐に向かうオレステスに躊躇が現れる。神託に突き動かされてきた彼が実の母親だという事実をまざまざと見せつけられ、取り返しのつかない恐ろしい行為に及んでいるのではないかと疑いを持つ。しかし、従者ピュラデスに神の絶対性を説かれ、悩みをふりほどく。人は、ナチスやカルト教団を見てもわかるが、上からの絶対的な命令を信頼し、自分の判断を避けることによって麻痺的な安心感に浸る。この状態のオレステスはそういった見地から分析できる。
  アイギストスに対しては即座に剣を振るうことのできたオレステスだが、クリュタイメストラに対しては躊躇したせいで、言葉のやりとりがある。懸命に命乞いするクリュタイメストラは、どれだけ自分がお前を愛しているかを訴え、その母を殺すことに戸惑いを与える。また、弱い存在である女性を強調させ哀れを乞う。逆に、オレステスは母の悪事を非難することで正当性を訴える。辛い立場のオレステスは「私ではない、あなただ、あなた自身を殺すのは」(923)と、因果応報を主張し、母親殺害の責任転嫁ともとれる発言をする。クリュタイメストラはとうとう、「母の怒りの化身の犬どもが、襲いかかっても?」(924)と脅すが、これも無駄、遂に観念する。短い時間に様々な思いが錯綜し、二人の間で充分な解決を見ないまま結末に至る泥沼の殺害場面である。
  こうして殺害劇はまた世代を越えて受け継がれた。家族間の世代を越えた力の移行、テュエステス家の子供殺しと人肉の饗宴からアトレウス家の呪われた殺害劇にかけて、アガメムノン、クリュタイメストラ、オレステスへと世代は移っていくが、それらは正義の力の移行でもあり罪と流血の移行である。最終場面(エクソドス)で、クリュタイメストラがアガメムノン殺害後に行ったように、オレステスは正義を高らかと主張する。このとき注目すべき点は、殺害をアポロンに責任転嫁しないことだ。生々しく手に残る剣の感触と目に映る二人の死体を前にして、自分がやったという事実から現実逃避することは不可能である。だからこそ、ここで自分自身が正義をアピールしなければならない。「私が母を追いつめ、こうしてこの手にかけたのは、正しかった、と」(988) 観客はここまできて、オレステスが正しかったとはっきりジャッジすることは出来ないだろう。オレステスの演説を聞いても、二人の間でどれだけの差があるのだろうか。夫殺しと母親殺し。名前は違っても、恐ろしい行為にかわりはしない。実は、オレステス自身充分に自覚している。最も恐ろしい行為をしたと思っているのはオレステスかもしれない。徐々に恐怖感に支配されていく様子が一連の台詞から読みとれる。

オレステス だがみなのもの、おまえたちに見届けてもらいたい、私には、 わからないのだ、この家の、行き着く果てが。
私はまるで、馬車の手綱を操りながら、走るべき道から脇へ、
  外へ外へとそれていくようなのだ。すっかり挫けた私の身体を、
  抑えのきかない心の轍が引きずっていく。心の臓の前には恐怖が
  とどまり、怒りの調べをかきならし、歌おう、踊ろうとして、気を揉ん でいる。
  まだこうして正気でいるうちに、仲間のものらに布告を出しておく
  (1021-1026)

 オレステスは恐怖感から、正気を失いつつある。母の乳房を目にして以来、彼の心の中で疑問や後悔、罪の意識が渦巻いて蛇のように巻き付いて苦しめている。彼の唯一の救い手と正当性は神託を下したアポロンである。「お告げの声はこういった、 これを成就したならば、この身に怯懦の咎めを受けずに済む、 だが、これを怠ったとき、受けるべき処罰、それはもういわずともよい。 とにかく、その責苦のほどは、誰にも想像がつかぬだろう」(1030-1033) このように、命令の絶対性を主張し、クリュタイメストラが女の弱さをアピールしたようにオレステスは人間の弱さをアピールする。このような、クリュタイメストラとオレステスの類似は非常に興味深く、正義を大きなテーマとしていながら、いったい何が正義で誰が正しいのかという判断を完全に迷わせる。

 第三部「エウメニデス」は、これまでの趣と明らかに異にする。劇の中心は、オレステスが無罪であるか有罪であるかの論議に集約される。場所も神聖なる神殿であり、登場人物には神や巫女が登場する。と、同時にこれまでの主観的な視点から客観的な視点へと描き方が変わる。客観的な視点は観客共々、これまでの殺害劇を正しく考察するために必要である。
  エリーニュエスと呼ばれる復讐の女神がオレステスを追って、神殿に現れている。この形容は、「黒ずくめで、姿形のどこをとっても忌まわしさそのものです。 その鼾といえば、近づこうにも近寄れないほどのものすごさです。 目からは気味の悪い脂を垂らしています」(52-54)とされ、「太古の時代から生娘のまま老いたものたち、このものたちとは、 いかなる神も、また人間も獣も、決して交わろうとはしない。また、災いを働くためにこそ、この世に生まれてきたものたちでもある」(69-71)と説明されている。オレステスが恐怖に正気を失うほどの姿をしているエリーニュエスはオレステスが流させた血の報いを要求し、現れた。しかし、オレステスを非難し、血の報いを求める立場でありながら、彼女たち自身もまたオレステスの血を求めているところは矛盾に感じられる。エリーニュエスは運命の女神モイラと姉妹とされ、モイラが人間に定めを与えて守る一方で、エリーニュエスはこの定めを超えた人間に報復を与える役割を担っている。オレステスがデルフィの神殿にまで逃れた理由は、神聖な場所ならエリーニュエスから逃げ隠れられ、更にアポロンの守護を得られるからだ。アポロンは命令を下したものとして、裁判で正当性を主張し、オレステスを助けなければならない。
  この「エウメニデス」では、様々な対比が浮かび上がる。
オレステス……クリュタイメストラ
男……女
子供……母親
父親……母親
アポロン……エリーニュエス
若い神……古い神
浄化……穢れ
有罪……無罪
  「浄化」と「穢れ」に関して、Vickersは、「この作品での最初の大きな問題は、オレステスが血の穢れから清められるかどうかである」と述べる。清める役はアポロンである。殺害が正義であったのか、神聖を汚す行為であったかは中核を成す問題であるが、「血は穢れさせるし、また、血は穢れを取り除く」(Vickers, 1973, p.407)ため、血で血を洗う行為の繰り返しからは解答を得られない。エリーニュエスは、アポロンの浄化する能力を否定し、逆にアポロンはエリーニュエスが神聖なる場所を汚していると非難する。また、古い神である彼女たちは、新しく権利を握り始めたオリンポスの神々が権力を振りかざし横暴を極めていると不快感を示している。すなわち、古い神と新しい神の闘争も、「エウメニデス」でのサブテーマである。
  さて、アポロンはコロスの長(エリーニュエス)の非難に対して、まず夫殺しが社会上のつながりで最も基本的な夫婦の絆を引き裂いたものであり、ゼウスとヘラのもとに交わした約束を反故にしたものだと、罪悪さを強調する。(213-221) 日本の例を見ても、親等は親子よりも夫婦のほうがより近い。このような比較で罪悪の度合いを計ることは可能であろう。
  裁判の場所、アテナ神殿に場面は変わる。エリーニュエスはもちろんここまで追ってきている。このときには、オレステスはアポロン神殿で清めのお祓いを済ませている。しかし、血を洗い流し、儀式の上で清められたからといって母親殺しの事実が消えるわけではない。聖なる神殿に足を踏み入れることが許されるくらいだ。母親を殺す理由が納得のいくものだと証明するために、オレステスは処女神アテナ女神に嘆願する。アテナは、双方の言い分を聞き、正当な判断を下す裁判長の役目を負う。賢明なるアテナは、無関係の市民を陪審員として呼び、投票によって有罪無罪を決するよう提案する。アテナにとっても、エリーニュエスは恐ろしい存在であり、彼女たちの要求する秩序の乱れに対する仕返しを妨げようならば、強大な力で呪いがアテネ全土に行き渡る。彼女たちを納得させるには、公平であることを前提としなければならない。
  エリーニュエスは凶悪で残酷な印象を受けるが、決して悪役ではなく、彼女たちの正義もまた理解できる。理解できるからこそ、難解な矛盾が生じるのだ。彼女たちの言葉は現代にも響くであろう。

コロス(エリーニュエス) ここにいる母親殺しめの
  非道な訴えが勝ちを占めれば、
  いまや、新しい掟による打ち壊しが始まることになる。
  そのようなことにでもなれば、もう、あらゆるものが
  退廃の方へと導かれるであろう。
   (490-494)

 青少年の凶悪犯罪が増加し、肉親間での殺害事件を、理解できない思いで、猟奇殺人や精神異常者の行為と結びつけていた時代はあっという間に通り越し、日常茶飯事のようにニュースでこの種の事件を耳にするようになった。親が子を殺し、子が親を殺し、このような事件が仮に裁判で勝訴となろうものなら、我々は世の中の退廃を感じざるを得ないだろう。守るべきものは徹底的に守らなければならない。そうしなければ世の中は手の施しようがなくなるまで悪くなる。現代の我々の立場になって考えてみたら、エリーニュエスの思いが理解できるし、彼女たちもまた正義であると納得できる。
 
コロス 何かを恐れること、これはためになることもある。
  心の見張りとなって、
  腰を据えなければならぬこともある。
  苦しみに引きずられて
  分別を知ることこそありがたいこと
(中略)
  全て、ほどほどということに神は力を
  授けたもうた。けれども、神の目は、みそなはす事柄に応じて異なる。
  私の次の言葉こそ的を射ていよう。
  驕りは、まことに不敬の心根の申し子。
(517-521,529-532)

 第二スタシモンでの、このエリーニュエスの長い台詞(490-565)は教訓的で啓蒙的である。恐怖感を持つことは非常に大事である。自然に対しても、恵みを与えてくれる一方で様々な災害をもたらすから、自然と共存する上で恐怖感を忘れてはならないのと同じである。「ほどほど」というのはアリストテレスの徳論(「ニーコマコス倫理学」)に通じている。すなわち、過大と過小との両極の正しい中間を知見によって正しく定めるべきとの中庸論で、これによって卓越した徳を得られると説いている。また、驕りとはすなわちヒュブリスのことで、BC5世紀のギリシアにおいて、どれほど傲慢が戒めの対象となったかがよくわかる。アテネの民主主義は、誰もが平等であるという意味での民主主義ではなく、誰もが驕りをなくし、謙虚に助け合って生きるべきだという意味での民主主義である。好きなように自由に振る舞ったり、自分中心のものの考え方は、戒められるべきであり、それは例えば身内のものに災いが及ぶというような警鐘で、自分一人ではないということ、自分勝手が許されないということを教えられる。そして、ひとりひとりの無力さを自覚することで助け合って生きていき、何事もほどほどに、とりわけ神に反するような不遜な行為は慎むべきだと学ぶ。観客にこのような訓示を与える意味でも、エリーニュエスは重要な存在である。特にこの第二スタシモンは、劇の流れから外れてはいないものの、違和感を覚えるほど教訓的で、おそらくアイスキュロスが筆を通し、観客に向けて発した訓戒であろう。
  さて、第四エペイソディオンから、場面はアレイオス・パゴスの法廷に移る。アテナ、陪審員たちの前でアポロンとオレステス、エリーニュエスの代表(コロスの長)三者の間で意見陳述が行われる。ここで議論の中心となるのは、父親と母親、また子供と父親、子供と母親の関係の重大性である。エリーニュエスがアガメムノン殺害の折りに現れなかったのは、夫婦は血で繋がっていないからで、それ故に血の繋がっているオレステスとクリュタイメストラ間の殺害の方が問題であると述べるが、アポロンは、前述したように、親というものは子種を植え付ける側であり、母親は育てる役目を負うているだけで、ゼウスから祝福を受けた高貴な生まれの男の死は、女の場合と異なり非常に重いと説く。こうして両者の言い分が発表されたのち、陪審員の投票に移り、陪審員たちは評決の石を壺に入れていく。その際に、アテナは前もって自分の票はオレステスに入れると告げる。その理由は自分自身がゼウスから生まれた母親なしの存在で、男の世界をよしとするからである。賢明なる女神の判断としては、実に単純である。男親と女親を天秤にかけただけの主観的な判断で、我々には少々釈然としない。裁判で陳述された内容も、現代ならば相手に関わらず殺人という行為そのものに議論が集まり、正義と罪について激しい意見が交わされるだろうが、結局夫殺しと母親殺しを天秤にかけただけの裁決は逆にテーマ性を薄める結果となる。誰が悪いのかを議論すれば、本来クリュタイメストラとオレステス両者となるはずだが、正義を中心テーマとしながら、この問題を棚上げしてしまっている。「エウメニデス」はアイスキュロス自身のメッセージが最も多く述べられているパートであるから、これらも作者の意図に違いないが、強引な印象を受けざるをえない。Livingstoneは、この点で「オレステイア」が芸術面での統一性に欠けると主張し、彼は政治的な寓意のためにこの作品を書き、アポロンとエリーニュエスの間の拮抗状態は当時の急進派と保守派の拮抗を現していると説明している。(1925, p.123-124)
  裁判の結果はどちらか一方に偏ったものではなく、陪審員の投票は同数に割れる。しかし、アテナの一票が重んじられて、わずかの差ながらオレステスが無罪放免となる。Podleckiも、「なぜアイスキュロスはオレステス無罪放免の適当な理由を見つけなかったのか」と疑問を寄せている。(1966/1999, p.88) アテナの理由に関して、Rehmはアイスキュロスの女嫌いの証拠と述べている。(1992, p.104) 老いたる詩人にとっては、男性を尊重する考えを失ってはならないという思いがあったのかもしれない。アイスキュロスはいうなれば昔気質の男であった。「我々は少なくともアイスキュロスに、男性優位社会の中の信念と5世紀アテネの権力特徴との間の葛藤を暗示として発見することが出来る。」(Roberts, 1975, p.162)
  しかしながら、アテナが投票する際に市民につきつけた誓約は、今後も公平なる場で平和的に解決するようにとの、同じくアイスキュロスらしい意図的な訓示であり、彼の思い描いた理想社会であったが、アテネの市民にとってはとりわけ重要な意味をなした。というのも、アイスキュロスがこの作品で提示した状況は、極めて直接的に当時のアテネの観客に影響しているからだ。(Rehm, 1992, p.102) だからこそ、多くの学者が「オレステイア」が導いた新しい法制度の創設がアテネ市民にとって意義深いものであったと評価している。少なくとも暴力的な行為で解決しようとする野蛮な考えと比べると民主的で、専制政治や無政府主義を遠ざける。(Dover, 1957) この「オレステイア」は「明らかに秩序の発達について、また同様に、明らかに人間や制度といったあらゆるレベルの発達について描いている。」(Aylen, 1964, p.60) 
裁判に勝ち、無罪となったオレステスは、アテナに感謝し、アポロンに感謝し、ゼウスに感謝する。また、死んだのちとなってもアテネの土地を守ることを誓って去る。オレステスの安堵の気持ちは、いったい何を意味しているのだろうか。生きる目的であった父の復讐を遂げた今、他に生きる目的があるわけではない。復讐に全てを賭けた男だが、そこは人間、エリーニュエスへの恐怖といい、彼を通して死の恐怖と生への執着を窺い知る。残忍にも、母親とその新しい夫、二人に死をもたらした身ではあるが、自分のこととなるとこれほどに命が惜しい。英雄と呼ばれた男の幕引きとしては実に寂しいが、アイスキュロスの筆は既に英雄伝説を書くために向かってはおらず、ただただ自分の意見を述べることに邁進しているように見える。アイスキュロスは命の重さをどこかで伝えたかったのだろう。生き残ったものの命への執着を、虚しく死んだものたちと対比させて描くことで、殺害劇を軽んじさせない作りになっていることは確かだ。
  敗北したエリーニュエスは、怨念を込めてアテネの土地を滅ぼそうとする。これに対し、アテナは和解を試みる。決して蔑ろにしたり侮辱を与えるような結果ではないから、どうか恨みや怒りを鎮め、アテネを不毛の地にしようなどといわないでほしい。我々は、あなたたちのために御座所を作り、贈り物を奉納し崇める、と。そして、自分がいかに、あなたたちのことを心から理解しているかを訴えかけると、太古より神々の間で嫌われ、誰からも崇められず、暗闇のなか孤独であった彼女たちの心に温情が暖かく染み込む。エリーニュエスは、アテナのように自ら繁栄を促すことはなく、怒りと怨みのみで血を求めていたことを恥ずかしく思い、アテナの説得に有り難く応じる。そうして、エリーニュエスを祀ることで、アテネの市民たちに繁栄と幸福が訪れるよう両者で結束する。
  この復讐の女神たちがエウメニデス(慈しみの女神たち)に変わる説得のシーンもまた、アイスキュロスが観客に言い聞かせたかったメッセージが込められている。そしてまた、「血には血を」の古来からの理念に新しい合理的な正義の道を指し示す結果となる。アトレウス家の殺害劇を教訓に、血ではなく、話し合いや裁判による和解策という最良の方法を知るのである。先祖代々の神との和解と、過ちを犯したり神を蔑ろにしたときに訪れる災厄の恐怖、憤怒に駆られた報復よりも和解を、また破滅よりも繁栄を。テーマ性が非常に濃い「エウメニデス」において、アテネの観客たちはアイスキュロスから授かるものが多かったに違いない。また、それらの多くは、現代人の我々にとっても有益な教えである。ことに、殺人事件や異常な犯罪を見ると、エリーニュエスを想起させる。エリーニュエスが理解に至った真理「殺しには殺しの報復を貪ることのないようにと。 代わりに人々は、心を共にした目的をめざして、 喜びをかわしあい、 敵には同じ一つ心で憎しみを向けるようにと。 これこそが、世の無数の災いを癒す薬であるのだから」(983-987)に、同じ過ちを繰り返す人々は気づくのだろうか。アイスキュロスがアテネの観衆に発した平和思想は、彼の作品が上演される限り現代にまで届いている。ギリシア悲劇の現代性を模索する上で、詩人たちの発したメッセージに気づくことは非常に大切である。

 ここまで、三部作品個々を取り上げて現代性も踏まえて説明してきたが、この章の最後として、「三部作」という形式に目を向けてみたい。いったい三部作の利点とはなんであろうか、また三部作ならではの特徴とはどういった点であろうか。
  「エウメニデス」は明らかに英雄伝説とは離脱した展開を見せる。この作品の主人公はアテナといっても過言ではないし、アイスキュロス自身であるという見方も可能であろう。「エウメニデス」はあまりにも、前二作と趣を異にするし、前二作が単独作品としても上演可能であるのに比べて、この作品のみでの上演は無理がある。前の二作があってこそ成り立つ内容であり、またこの作品のみではあまりに教訓めいている上、動きの乏しい展開のためドラマ性に著しく欠ける。
  しかし、逆に言うと三部作だからこそ「エウメニデス」は成立しているといえる。「アガメムノン」による夫の殺害、「コエポロイ」による母親の殺害、この二つの凄絶な事件が投げかけた複雑に込み入った道徳と正義への疑問、実例として示されたからこそ、「エウメニデス」におけるテーマおよびアイスキュロスのメッセージは観客へと届く。このような形で、事件から解決へのプロセスが普遍的真理と平和的道徳観の到達に至り、同時に観客は事件で考えさせられて、解決で止揚の理解に至る。つまり、三部作は弁証法の過程を踏んでいるわけで、この構成は三部作の注目すべき特徴とみなしていいだろう。
  三部作の構成をどうとるかには可能性がある。「オレステイア」では、三つそれぞれの主人公が異なると見ていい。すなわち、「アガメムノン」はクリュタイメストラであり、「コエポロイ」はオレステス、「エウメニデス」はアテナである。主人公が違うということは、視点もまた違うということで、これをアイスキュロスは巧く利用した。第一部の主人公を悪役に見たて「否定」した第二部の主人公は、悪役を倒すことで正義を示したが、この正義も「否定」される。正義が覆され(「肯定」の「否定」)、悪と見なした行為と同じ行為に至る(「否定」=「否定」)。いったいこれは正義なのか悪なのか(「否定」≒「肯定」?)。複雑なパラドックスが生じる。そこで、第三部の主人公が、全く違う観点からこの解決法を提示して、結末に至る。このような構成は、主人公を同一にし、一貫して一つの視点から描いては無理である。 
  また三部作での大きな特徴は、三作分の長さを持つ長編であるがゆえのスケールの大きさである。これは単に、長ければ壮大になるということでもなく、長さの中で構成がしっかりとしており、全体的な完成度が高くなければ、冗長な絵巻物となる。「オレステイア」では三作を異なった視点で描くことによって視野を拡大させたが、この手法は有効であった。
  また、無視できないのは神話を題材とする事で、このことにより舞台は人間を超えたドラマとなり、深遠なるテーマをもたらす。これもスケールの大きさに大きく関わっている。テーマの薄い作品は、長さに比例したスケールの大きさを感じない。それは連続テレビドラマと比較すればすぐにわかる。逆に、テーマ性の高い作品でも長さが伴わないと、観客はそのテーマに向き合ってはくれない。それというのは演劇は演説ではなく、ドラマであるからだ。ギリシア悲劇の時代は、今日でいう動きのあるドラマではなく、語り中心の、物語の中のドラマであるが、演説とは明らかに異なる。演説めいた劇作品はときに作者の独りよがりな考えとみなされ受け入れられない。
  このほかにも、三部作ならではの有効な方法が存在するが、それらは今後の章で、実際の三部作作品を考察することで分析することにしよう。

 

3.現代演劇の「オレステイア」−「The Oresteia」for the modern drama−

 この章では、20世紀の後半に上演された二つの注目すべき「オレステイア」、すなわちピーター・ホールとケイティ・ミッチェルのプロダクションを中心に紹介することで、ギリシア悲劇の現代性、普遍性および現代演劇としての上演スタイルを考えてみたい。
 
  まずは、ピーター・ホールの上演から見ていこう。しかし、まずピーター・ホールという演出家について簡単に説明しておいたほうがいいだろう。イギリスの代表的な重鎮演出家であるPeter Hall(1930~)の最初の事件的プロダクションは、ケンブリッジ大学を卒業後にthe Arts Theatreで1955年に上演したイヨネスコの「授業(The Lesson)」とベケットの「ゴドーを待ちながら(Waiting for Godot)」であり、弱冠25歳にして、不条理演劇を国内に知らしめ、フランス演劇の風を巻き起こす時代の寵児となった。ちょうど1956年、ジョン・オズボーン(John Osborne)の「怒りを込めて振り返れ(Look Back in Anger)」が、テレンス・ラティガン(Terence Rattigan)らを代表とする貴族階級向けの上品な演劇に風穴を開け、若者文化の急激な発展を演劇界にももたらした歴史的年の前年である。ホールは時代の移り変わりの波に乗って出現した。その後は、Royal Shakespeare Company とRoyal National Theatreにおいて芸術監督および演出家として、英国演劇の先頭に立って活躍した。有名な演出作品としては、他に「バラ戦争(The Wars of the Roses)」(1963)、「アマデウス(Amadeus)」(1979)など。また、彼はオペラの作品も数多く手がけている。彼の演出作品は、演出家として、演劇人として冒険心を駆り立てるものであり、他人がやらないような作品に手をつけたがる。そのため実験的な作品や、壮大なスケールの作品が目につく。また、シェイクスピアをはじめ歴史劇や古典の作品を数多く手がけ、過去の時代や、神話など、我々の日常から離れた特別な劇世界にこそ、求めるものがあると確信している。かつて、ホールは「オレステイア」に取りかかろうとするとき、T.S.Eliot(1888~1965)が「過去の現代的瞬間」に最も重大な要素があり、演出家と俳優はそれにはっきりと向かわなければならないと述べている。(Goodwin(ed.), 1983, p.223) つまり、過去のものが現代のものとなって甦る瞬間である。そこに現代人が忘れていた大切なものや、逆に現代を克明に写したものがあると考えていたのだろう。同じことをピーター・ブルック(Peter Brook)(1925~)もいっている、「我々は儀式や祭祀の全ての感覚を失ってしまっている。それがクリスマスや誕生日、葬式と結びつけられていようが。しかし、それらの言葉は我々に残り、古代の脈が我々の随でかき回される。我々は儀式をもつべきだと感じるし、それらを得るためになにかをすべきだと感じる。」(Brook, 1968, p.51) ギリシア悲劇の現代性と普遍性については何度も述べているが、ホールもブルックも明らかにその点に演出家として魅力を感じていた。 
  「The Oresteia」の上演構想は、八年前の1973年には彼の頭にあったから、それから途方もなく長い時間を準備にあてたことになる。ホールは、詩人のトニー・ハリソン(Tony Harrison)(1937~)に、翻訳を依頼した。そして、多くの時間がハリソンの翻訳待ちに費やされた。ホール自身、翻訳台本を読むまでは上演構想を明確化することはできないため、ハリソンの「アガメムノン」がまず出来上がることを心待ちにしていた。
  ホールの「オレステイア」上演には、切っても切り離せない存在のトニー・ハリソン。最も苦しんだ人間は彼かもしれない。彼は舞台用台本の翻訳も数多く行う異彩を放つ詩人であるが、この仕事に対しては特に苦悩したようだ。ホールへの手紙に「憂鬱だ。これまでのところオレステイアはちょっと煮詰まっている」と綴っている。読むための翻訳では舞台で使えないことを充分知っているからこそ、舞台化・現代化するための手がかりを見つけあぐねていたのだ。また前提として、「オレステイア」とギリシア悲劇を知ることも肝要であった。特に、男性優位の社会における性差別はハリソンにとって非常に大きなことで、観客席を男女別に分けてそのことを強調する案まで出したほどだが、この案は採用されなかった。翻訳には演出面もかなり重要な影響を持っていたと思われる。
  翻訳作業における長い闘争の末にハリソンはいくつかの発明をした。まず一つは頭韻である。観客にとって、より近づきやすい言葉を開発することは難しいことだが、最大限の重力と最大限の推進力を保つために、頭韻をそろえたアングロサクソン・バラード調の言語を思いついた。そうすれば、観客の興味を引きつける近づきやすさをもつと考えたのだ。(Astley (ed.), 1991, p.238) しかし、ナショナル・シアターのほうはかたくなで、様々なハリソンのアイディアとカンパニー内での実験を認めなかった。「私は常にナショナル・シアターにはがっかりさせられていた」(Astley(ed), 1991, p.238)といっている。
  しかしハリソンは最良の言語を求め、実験と試行錯誤を繰り返していた。そして、イメージを具体化するために、作品を17世紀の芝居にしようともした。結局、知的で推進力を持ち、ごつごつとした濃密な言語にするために、北部の古代英語調にした。また、彼は独自の造語を作った。

例)she-god , he-god , she-child , he-child, bloodright , bondright, bloodgrudge

 ハリソンはこう説明している。「わたしは`正義’や`祭壇’というような言葉を使いたくなかった。というのもそれらはあまりに陳腐な印象を受ける。私の造語は血の結びつきと結婚の結びつき双方に関わる全体的な葛藤を劇化させている。」(Astley (ed.), 1991, p.242) she−god、he−godとすることで性別の決定的な違いを強調することが出来る。ギリシアの性格差を彼はこのような形でもアピールした。
  また、彼を熱狂させたのは、スティコミューシア(stichomythia)の発見であった。スティコミューシアとは、二人もしくは三人の登場人物の間で繰り返される短い対話のやりとりのことである。形式的なテンポある対話の連続には、彼の求める推進力がある。これによって、作品全体を徹底して韻によってリズミカルにさせなくても、推進力は維持できると考えたのだろう。
  彼が作品にリズミカルな推進力をもたらすために最も苦心したのは「アガメムノン」の最初のコロスの登場である。この箇所以外は、音韻に必ずしもこだわらない書き方に変わっている。参考までに最も韻が使われている箇所(例1)とスティコミューシアの箇所(例2)二つの例を挙げる。

(例1)
making a blood-debt sacrifice certain,
a sacrifice no one wants to eat meat from,
a sacrifice no one wants to sing songs to,
whetting the grudge in the clanchief's household,
weakening the bond between woman and manlord,
a grudge wanting blood for the spilling of childhood,
a grudge brooding only on seizing its blood-dues.
Agamemnon(Harrison, 1985, p.194)
(例2)
Crytemnestra: I want to grow old with the son these breasts fed!
Orestes: My father's madness eating my bread!
Clyt: The she-god of Fate, son, she played her part.
Or: The same she-god then drives my sword through your heart.
Clyt: Your mother's bloodgrudges, don't they make you scared?
Or: Would a mother throw her son out if she had cared?
  Choephori(Harrison, 1985, p.257)

 Murrayは、ハリソンの「オレステイア」をこう評価している。「トニー・ハリソンの素晴らしい翻訳は、今まで書かれたアイスキュロスの翻訳の中でも確かに最もよい動きのある翻訳である。一つ一つのイメージ、意味のニュアンスを捉えている印象を受ける。これは演劇的に重要だ。(中略)ハリソンのリズム、類韻、脚韻、言葉遊び、そして頭韻はアングロサクソンの伝統的な詩を思い起こさせる。言葉は簡潔かつ深く、それらは英語の子音の強調と咽喉と口唇の豊かさのおかげである」(1991, Astley(ed.), p.267)
  しかし、劇評の方は彼の力量を賞賛しながらも、反対に手厳しいものとなっている。

「コロスの台詞のいくらかはとてもよく、詩的であるが、言葉は非常に理解しづらい。ここで言語に関して複雑な疑問が生じる。トニー・ハリソンは素晴らしい翻訳家であり優れた詩人である。しかし、彼がアイスキュロスのテキストのなかで作り出したイディオムは、とても奇妙である。」
(Esslin, 1982, plays&players, No.340)「ハリソン氏は卓越した翻訳をやってのけた。明快で機知に富み、読んで楽しい。ただ、機能していない。」
(Cushman, 1981, Observer)
「本当の問題はトニー・ハリソンの翻訳にあるように思える。(中略)(造語に対して)それらは不自然であり、それらの意味よりも言葉自身により注意が向けられる。(中略)彼の最も大きな罪は省略である。」
(Nightingale, 1981, New Statesman)

 批評家に共通しているのは、詩人としてのハリソンの卓越した仕事に賞賛する一方で、造語や北部地方の古い英語などの彼が考えあぐねたすえに見つけた発明を否定しているということだ。観るものは、表現者側の意図を汲み取って観てはくれない。どんな狙いがあろうと、観る側が受け入れてくれなければ失敗であったという結果になる。

 次に舞台美術を見てみよう。舞台美術を担当したのは、ジョセリン・ハーバート(Jocelyn Herbert)(1917~)である。ハーバートは絵を学ぶとともに装置のデザインも学び、1936年にはThe London Theatre Studio(LTS)に所属する。そして1956年には、かのジョージ・ディヴァイン(George Devine)が立ち上げたEnglish Stage Company(ESC)に入る。The Royal Courtでの仕事の始まりである。彼女はジョン・アーデン(John Arden)、アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)、ジョン・オズボーン(John Osborne)、サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)といった、一時代を築いた錚々たる面子と仕事をした。彼女の仕事は、簡潔さとインパクトに優れている。ピーター・ホールは、英国演劇の装置の歴史を変えたのは、ジョン・ベリー(John Bury)と彼女の二人だといっている。というのもそれまでの華美で作り込んだ装置に「それはいいかもしれない、だけど必要だろうか?」という疑問を提示したからだ。それから、現在に至るまで、舞台装置は必要かつ不可欠な最小限のものだけに留め、そのなかで芸術的に仕上げることがよい舞台装置の手本とされている。リアリスティックに作らなくとも、俳優や照明の力で劇的イリュージョンを作り出せるのだ。この考えを強く裏付け、世に広めたのが、ピーター・ブルックの「The Empty Space」であった。
  彼女に対する評価は高い。ロイヤル・コートの演出家ジョン・デクスター(John Dexter)は、「ジョセリンと他のデザイナーの仕事とで違うことは、全てにおける`豊富さ’である」(Herbert, 1993, p.215)といっている。また、アーノルド・ウェスカーは「ジョセリンの装置は美的に驚嘆すべきものであり、完全に作品の魂と現実に調和したものであった」(Herbert, 1993, p.215)と彼女の凝縮されたデザインがいかに優れたものであったかを語る。
  ハーバートは、著書「Jocelyn Herbert -A Theatre Workbook-」でホール演出の「オレステイア」を振り返っている。劇場は、ホールの指示でギリシアのエピダウロス劇場を模して建設されたナショナル・シアターのオリヴィエ劇場(The Olivier Theatre)である。約2000人を収容する大きな劇場とはいえ、エピダウロスと比べると小さい。しかも1982年には、そのエピダウロス劇場でも上演する予定であった。すなわち、ハーバートは、二種類の劇場に適応するデザインを考案しなければならなかった。
  ハーバートは、オリヴィエ劇場をメタリックな素材で調和させた。建物の壁、後方の並列したドアと演壇、それ以外の舞台装置は「エウメニデス」での巨大なアテナ像ぐらいで特にない。5時間を越える大作にしては実に簡素である。
  そしてハーバートのデザインを強烈に印象づけるのが、マスクである。ホールは、登場人物を全て男性にし、マスクを作らせるよう指示した。ハーバートは、こういっている。「オレステイアは、初めて作った上から下までのマスクだったが、様式を定め、ナチュラリスティックにすべきか否かを決めるのに時間がかかった。」(1993, p.120) 結局仕上がったマスクは、ギリシアのそれと似た古代の雰囲気を醸し出したオリジナルのマスクであった。マスクは目と口が楕円に開いており、多くはかつらをつけており、これによって男性・女性を現したが、衣裳も含め、そのいでたちは異様である。俳優たちもかなり戸惑ったようだった。
  ホールの評価はこうである。「ジョセリンは素晴らしい。装置に対し、かなり中立なものを与えてくれた。彼女のオレステイアにおける仕事でなにが素晴らしいかというと、彼女はなにもない、なんの解答もないところから初めて、非常に謙虚な方法で、装置を作ったということだ」(1993,p.224)といっている。ミニマリズムの方向を辿るハーバートの仕事は、ホールの求めていたものだったことがうかがえる。実際、ほとんどといっていいほど舞台装置のないギリシアの舞台を考えれば、華美に作り込んだ装置は求めるものではない。ホールをはじめ、この上演に携わるものたちは、徹底的に当時のギリシア悲劇を調べ、そのエッセンスをつかもうと苦心した。
  さて、舞台美術に対する劇評は、このようなものであった。

「マスクは美しい。そしてそれは舞台にもいえる。シンプルな半円形の舞台に、両脇に直角にのびる道、そしてメタリックな後方装置、オリジナルのギリシア劇場と非常に似通っている。これは、それ自身が神殿や宮殿の内部や門、見張り役の高い高台となるようになっている。」
(Esslin, 1982, plays&players)「オリヴィエの中央に集まりがちな傾向を処理していない以外は、その構造は、非常によい。」
(Billington,1981,Guardian)
「マスクはもっと表情をつけたほうがいいのではないだろうか? 奇怪なものより人間的なものの方が私はいい。」
(Barber, 1981, Daily Telegraph)

 劇評は、ハーバートの仕事に対して、おおむね美しいと好評であったが、長時間の芝居を退屈せずに観させる補助的機能の欠如を指摘した声はある。演出的に疑問を唱える声は多い。

 最後にピーター・ホールの演出に目を向けてみよう。この上演は、彼に始まり、彼に尽きる。彼が非常にこだわったマスクの使用。彼は、マスクが巨大なギリシア劇場のためのメガホンの役目をしたという説も、遠くからでもよく見えるためという説も退ける。(Hall, 2000, pp.28-29) 彼は、実際にオリヴィエ劇場建設計画にあたり、エピダウロス劇場を視察しているが、どちらも理由にならないと結論づけている。それだけ、よく聞こえ、よく見えるというのだ。彼が導き出した結論は、「拡大鏡」説であった。

「偉大なマスクは本当に表情がない。曖昧だ。ヒステリックなボディ・ランゲージの一部として発せられた金切り声の音は、マスクに金切り声を発せさせる。下品な笑いをたてれば、マスクが笑ったことになる。」
(Hall, 2000, p.24)

 マスクを身につけた俳優が、動きとともに喜怒哀楽の声を発せば、マスクはそれらの感情に呼応するということだ。曖昧で不可思議なマスクは、俳優が抱く感情をプリントするためにあるという。これは日本の能面とよく似た機能であるが、光の当たる角度など実例を使って説明はしていない。ホールのこの説は疑問である。むしろ、表面的な感情表現を消し、世俗的で野卑な印象を避けるために身につけた、儀式性の名残ではないかと私は思う。「曖昧なマスク、これを十分に使えば、しばしば人間の顔よりも表現豊かになる」(Hall, 2000, p.28)といっているが、彼が心からそう思っていたのかは定かではない。だが、明らかにその理論に固執していた。The Sunday Timesの劇評を書いたFayとOkesは、ホールがあまりにこの理論を誇示するので「彼はまるで風変わりな錬金術師のように見えてくる」(1981)といっている。また、Sunday Telegraphの劇評では、「しかし、それらはほんのわずかなバリエーションしか与えず、表現の流動性はない」(King, 1981)と反論している。ホールは「十分に使えば」と断っているように、うまく作れば、もしかしたら誰もが納得する形で証明できたかもしれない。ただ、ハーバートのマスクは、ギリシアのマスクと似た作りではあるが、証明するところまでの効果は望めなかった。ハーバートのマスクでなくとも、ギリシアの仮面でその効果が実証されたという報告もない。

「マスクは目を背けさせるような強烈な感情においても、観客に目を向けさせる。私はそれ故に、このような信念に達する。上演は常に感情を移すものとしてマスクか、それ相応のものが必要である。」
(Hall, 2000, p.25)

 彼はそういいながらも葛藤があった。果たしてマスクを使用するべきなのか? というのも、俳優たちがマスクを拒絶する傾向があったからだ。だが、後には引けない状態になっていた。彼自身もその信念を証明しなければならなかった。マスクが殺人などに伴う強烈な表現を、生々しいものではなく、フィルターを通して見させるという効果はあるかもしれない。ただ、ギリシア悲劇が目を背けさせるほどの表現に満ちているかと問うと疑問が生じる。確かにギリシア悲劇は感情表現が色濃く血生臭い場面もたくさんある。当時のアテネ市民はそれらに敏感に反応したかもしれない。しかし、現代の観客にとってはどうだろうか? 同じように血生臭い、例えば「タイタス・アンドロニカス」のようなシェイクスピアの悲劇に仮面を必要とするだろうか? むしろ、マスクという存在に余計気味が悪い印象を受けるだろう。だが、ホールのこの考えは無視できない。というのも、人間の収まるべき範囲を超え、神の怒りを買うような行為は許されないという道徳観があったことは既に述べた。悲劇の中ではこのような行為が頻繁に現れる。そこで、例え劇場であるとはいえ、人間がそのような行為を働く場面を目の前で再現することは道徳的に許されなかったのではないか。これは劇世界の出来事である、という前提を忘れないために、また血生臭い恐ろしい行為が真に迫ったものとして観客につきつけられないように、マスクが役に立ったということは想像できる。いずれにせよ、現代演劇においてマスクを使うという必然性は歴史の再現以外感じられない。
  また、マスクに対しては、共通して、台詞が聞こえづらく、誰がしゃべっているのかわからないという欠点をあげられている。顔面全体を覆ってしまっているために、顔の表情も口の動きもわからないのだ。これでは、劇に集中できず退屈感がこみ上げる。ホールがそれに気づいていなかったわけではない。彼は、コロスをより効果的にすると弁護する。つまり、コロスは通常全員で声を合わせて喋るのではなく、一人一人が交代に喋る。そうしなければ、言葉が聞き取りづらいからだ。そこで一人一人喋っても、皆が仮面を付けているため、全員の言葉だと理解して聞くことができる。声が一つなので、言葉を理解しやすい。このようにマスクをつけているおかげで、一つの声をコロス全体で共有することができるという。これは興味深い見解である。語りが中心のギリシア悲劇においては、本来その語りが観客に届けられることが大切である。マスクをはずし、生身の人間が登場し、言葉のキャッチボールがされるというのは明らかに違う。初めから、現代劇として完全に作りかえてしまうことを望まず、ギリシア悲劇の本質を軸においた演出を狙っていたホールにとって、この試みは意義がある。
しかし、マスクをつけながらの発声を俳優たちは十分に練習しながらも、結果としては聞き取りづらいという反応であった。また、五時間を超える長丁場の大作である。Kingのこの体験は充分に理解できる。「五時間二十分の間、何度となくあった、私が見張り役の冒頭の台詞を静かに口にする時が。`おお、神よ! この長く退屈な見張りから私をお救いください’」(1981, Sunday Telegraph)
  16人の俳優をすべて男性キャストにしたことも同様に、批判の声がある。これも現代演劇では必然性がほとんどない。もちろんホールは安直にそうしたわけではなく、トニー・ハリソンと同じく、男性支配社会という要素が根本にあることを知っていただけに、これを蔑ろにはできなかったのである。ただ、イギリスにおいてシェイクスピアですら、女優を起用する現代において、すべて男優というのは観客にとって戸惑いがあったに違いない。ホールは、マスクの効果として、性別描写についても述べている。彼のマスク理論は高次の効果を導き出していて、興味深い。

「マスクを使用することによって、俳優は年齢を変えることができる。また、立ち居振る舞い、体格、性別さえも変えることができる。俳優は、自分でも知らない性格をあらわにすることができる。しかし、それらは彼の一部である。そうでなければ、ふりをしているだけにすぎず、すなわち過ちに陥っている。本当の演技は自分自身を表出させることであり、誰かの真似をすることではない。この点で、マスクは多大な助けをもたらす。」
(Hall, 1993, p.311)

 ギリシア悲劇のマスクの機能を研究するに当たって、ホールの見解は多くのヒントを与えてくれる。しかし、現実的な分析というよりは、理想的な分析だという印象を受ける。ホールはマスクの機能を過信しすぎているように見受けられる。多くの観客が、マスクがないほうがいいと評価をしている。Shulmanは、「もし批評家が謙虚な提案をするならば、来年マスクをコロスだけに限定し、中心の役柄は人間の表情で表現する形で再演してはどうであろうか。おそらく大成功を収めるのではないか」(1981, Standard)といっている。現代の観客に受け入れられやすい形を選べば、マスクをコロスだけに限定する方が正解かもしれない。だが、ホールはあくまでも信念を曲げなかったし、マスクを使った上演だからこそ、記憶に残る作品となったのだと我々は解釈する。
  彼の主張の中心には「ギリシア悲劇は、それ自身がマスクである」という不動の意識がある。隠れた殺害計画や、舞台の奥で行われた暴力描写、それらをリアルに表現するよりも、隠す方向で行われたということは紛れもない事実であり、同様の意図がマスクにもうかがえる。
  彼は、ギリシア悲劇の世界をあらゆる角度で見つめ、そこから様々なエッセンスを導き出した。それにとどまることなく、実際に上演もした。必ずしもそれらがうまくいったとはいえない。手放しで最も高い評価を受けたのは、ハリソン・バートウィスル(Harrison Birtwistle)のパーカッションによる音楽であろう。最もギリシア悲劇にとらわれなかった人間が成功を収め、「オレステイア」を上演するために苦心してアイディアを見つけだしたホールとハリソンの二人が、どれも本人たちの意図にそぐわない残念な結果になったことは実に皮肉である。だが、歴史的な実践研究としては確実に果たした役割は大きいし、ギリシア悲劇を現代で上演するにはどうすればいいのかを考える上で貴重な前例となった。特に、上演形式や悲劇に込められたアテネの社会状況や道徳観は、現代と大きく異なり、特殊であればあるほど受け入れがたいという事実が分かった。

 次に紹介するのは1999年〜2000年にかけて上演されたプロダクションである。ケイティ・ミッチェルの現代的演出は、多くの点でホールと対照的である。彼女の演出は、「オレステイア」の現代化として成功した一例である。彼女の生み出したアイディアは、ホールと異なり、多くが刺激的で魅力的であった。ホールの「オレステイア」と比較すると、更にギリシア悲劇を上演するためのヒントがわかる。また、どれだけオリジナルを作りかえられるのか、どれだけ現代性が許されるのかを知る手がかりとなる。
  ケイティ・ミッチェル(Katie Mitchell)は、若手の女性演出家であるが、数多くの斬新な演出を手がけ、注目されている。ギリシア悲劇では、エウリビデスの「トロイアの女(Women of Troy)」「ポエニケーの女たち(Phoenecian Women)」を上演している。また、「ミステリーズ(The Mysteries)」という大規模な宗教劇や、ジャン・ジュネの「女中たち(The Maids)」など並々ならぬ演出力を要求する作品に取り組んでいる。ギリシア悲劇を、とりわけ「オレステイア」を上演しようとする演出家は例外なく野心的な演出家であるが、それはミッチェルにも確実に当てはまる。
  ミッチェルの「The Oresteia」は、ホールと同じくナショナル・シアターのプロダクションとして上演されたが、劇場はギリシア的なオリヴィエ劇場ではなく、ブラックボックス型の200人程度しか収容できないコテスロー劇場(Cottesloe Theatre)で披露された。ブラックボックス型の劇場で「Empty Space」を前提とした演出方法は、ピーター・ブルックの同名著書「The Empty Space」の発刊と1970年の「真夏の夜の夢」上演以来、急速に広まり、英国演劇を発展させた。Empty Spaceは、0から構築する自由で無形の芸術空間である。また、観客との距離が非常に近い。この演出法を成功させるために最も大事なことは俳優およびスタッフの技術力であり、演出家の創造性とセンスである。世界の頂点に君臨する演劇王国イギリスにおいて、演出の出発点はアマチュア演劇のなにもない狭い舞台であり、演出の極みは、やはりEmpty Spaceなのである。実力のあるものが、この方法で成功でき、演出力の高さをアピールすることができる。「オレステイア」をコテスロー劇場で上演しようという試みは、若さ溢れる野心的な大挑戦であるが、それを依頼した、ナショナル・シアター芸術監督トレヴァー・ナンの若い力を見抜く判断も素晴らしい。実力のあるものが認められる英国演劇ならではの企画だ。
ホールがトニー・ハリソンに脚本を依頼したのとは違い、今回はミッチェルに白羽の矢がたつ前に、脚本が出来上がっていた。執筆者はテッド・ヒューズ(Ted Hughes)(1930~1998)であり、戯曲の翻訳を兼ねる有名な詩人である。彼は「オレステイア」を執筆後まもなく亡くなった。ヒューズの翻訳に関する劇評をのぞいてみる。

「静かで、心をうつ清浄さがあり、時折素晴らしいイメージを投げかけるが、トニー・ハリソン版の荒々しく切り倒すような男性的な強さとエネルギー、これらは必要だろうが、欠けている。」
(Brown, 1999, Mail on Sunday)
「テッド・ヒューズの新バージョンは並はずれている。しなやかで、雄弁で、鮮明さに満ちている。」
(Spencer, 1999, Daily Telegraph)
「彼のバージョンの作品は、短い行で、ぶっきらぼうで、イメージを運ぶ。これらは素晴らしい物語の脈動を創造する。」
   (Clapp, 1999, Observer)

 欠点を指摘する声も一部にあるが、多くの劇評家は好意的に受け取っている。特長としては、非常に短いセンテンスで端的に表現している点で、テンポよくわかりやすい上に、ミッチェルの現代的演出を損なわない。ハリソンの翻訳と比べると、一目瞭然であろう。「アガメムノン」冒頭の見張り役の最初の台詞を例に挙げてみる。

(トニー・ハリソン版)
Watchman:
Not end to it all, though all year I've muttered
my pleas to the gods for a long groped for end.
Wish it were over, this watching, this watching,
twelve weary months, night in and night out,
crouching and peering, head down like a bloodhound,
(Harrison, 1985, p.190)
(テッド・ヒューズ版)
Watchman:
You gods in heaven-
You have watched me here on this tower
All night, every night for twelve months,
Thirteen moons-
Tethered on the roof of this palace
Like a dog.
 (Hughes, 1999, p.3)

 このように、リズムを持った流暢な詩性を持つハリソンに対し、短く区切ったわかりやすい英語で表現している。確かに語りによる表現を強調したホールの演出においてはハリソンの翻訳が適しているだろうが、一方、視覚的で動きのある演出を心がけたミッチェルの演出においてはヒューズの翻訳が適しているといえる。
 
さて、ミッチェルの演出に細かく焦点を当てて考察しよう。
  まず、彼女は男性役は男性に、女性役は女性に演じさせた。そして、マスクを使用しなかった。マスクに代わるものは一部使ったが、ギリシア悲劇のマスクとは程遠い。そして、衣裳は、現代風で、「アガメムノン」のコロスは退役軍人らしき人物と看護婦で、その男たちは車椅子に乗せられ看護婦がそれを押している。(この演出は鈴木忠志を即座に想起させる。彼女は身体表現に強い興味を持つ演出家で、おそらくアジアの芸能や異国の演出法を研究している)彼らの服装は数十年前の戦時を思わせるスーツと帽子をまとっている。彼らの持ち物はユニークで、それぞれ懐中電灯を持っており、陰鬱な照明のなか、喋るものに電灯を照らす。平和とはかけ離れた抑圧された世の緊迫感があり、電灯を照らすことで、コロスたちが表だって活動できず、隠れてクリュタイメストラらを批判している雰囲気が助長されている。彼らはタイプライターをたたいたり、テープレコーダーで忘れてはならない証言を録音したりする。この演出は面白い。「アガメムノン」において、コロスたち、すなわちアルゴスの民は、恐ろしい殺害を止めようとしても止められない。言葉で批判することはできても、行動には移すことができない。しかし、コロスは事の次第を最もよく知る役割である。ケイティ・ミッチェルは「オレステイア」を現代に移した。その移した場は戦争の時代である。世界大戦を振り返ってみても、偉いものたちが全てをコントロールし愚かな戦争を始め、一般市民は虚しく口撃するしかなかった。ここに、「オレステイア」と現代がリンクする。彼女は、今なお世界の共通課題である戦争を取り上げることで、「オレステイア」に息吹を吹き込んだのだ。これが彼女の演出の最も素晴らしい点である。
  また、タイプライターやテープレコーダーはこう解釈できる。すなわち、形のない言葉や倫理、道徳観は危ういということだ。「オレステイア」において最も重要視される言葉は正義であるが、その言葉ほど矛盾に満ちて不可解なものはない。その言葉のあやふやさと定義のできない深さ。また、クリュタイメストラは良き妻を繕い嘘を重ねる。その嘘を弾劾するためには証拠が必要である。正義を追求する「オレステイア」において、嘘を追い詰める態度は正義の要求である。ミッチェルは「オレステイア」を超えて、創造された演出世界のなかでも更に正義とはなにかを追求する。この強い思いは一貫しており、観客にまざまざしくつきつけられる。その、最も強烈で印象的な場面は、映像で映し出された辞書のクローズアップである。そこには「justice」と書かれている。いったい正義とは何なのか、辞書の定義が解答を与えてくれるわけではない。むしろ一層その疑問が観客に突きつけられ、深く考えさせられる。紙に書かれた辞書の上での定義では無力な訴えである。現代の盲点をついた問いかけである。
  クリュタイメストラは王妃であるが、カジュアルである。花柄のワンピースを彼女は着ていた。これが果たしてどういった意図なのかわからない。Grossは、「原則的に誰もこの選択に異論を唱えるものはいないだろう」(1999, Sunday Telegraph)というが、私には違和感に感じた。明らかにいえることは、彼女はあくまでも強い女であり、優しい母親ではないということだ。
  アガメムノンは、ギリシア軍総大将というほどの威圧感はなく、登場後まもなく鎧を脱ぎ去り、白い下着姿になるので、犠牲者という印象が高まる。だが、おそらくアガメムノンはより大柄で武将にふさわしい人物がよかっただろう。ミッチェルのこのプロダクションは、カンパニーとしての繋がりの強さは非常に感じるのだが、キャスティングとしてはあまり適しているとはいえない。作品の造形と離れた人物が配役についているケースが多い。それは、カッサンドラやエレクトラ、アテナらにもいえる。キャスティングの中で最も役柄に適していたのはクリュタイメストラ役のアナスタシア・ヒル(Anastasia Hille)であろう。そのため、劇評においても最も評価が高く、注目を浴びていた。「アナスタシア・ヒルの圧倒される驚くべきクリュタイメストラ」(Edwards, 1999, Time Out)や、「素晴らしい、凍りつくようなクリュタイメストラである」(Curis, 1999, Evening Standard)「クリュタイメストラの残忍さと苦悩を表現した」といった評価で各紙が褒め称えている。
  プロロゴス、パロドスに至る見張り役とコロスの、説明的な長い台詞は視覚的に説明されていた。ギリシアの地図を用意し、それをコロスがビデオカメラを持って撮影し、それがプロジェクターによって映された。ミッチェルの「オレステイア」では、映像が実に効果的に斬新に使われている。
また、地図を燃やすことで、戦火の炎を現すと同時に、勝利を知らせる松明リレーを現していた。
  アガメムノン登場のシーンでも実に効果的な演出がなされていた。既に述べたように、クリュタイメストラは赤紫色の敷物を用意して、アガメムノンを迎え入れた。この赤紫色の敷物は、血で染まった子供のワンピースをつなぎ合わせたものであった。これはイピゲネイアの犠牲死に対する痛烈な恨みを現している。良き妻を演じているときであるだけに、彼女の性格の恐ろしさと不気味さが高められる。このシーンが、罪もない子供の犠牲を強調させているように、戦争においても罪のないものが哀れにも命を落とす。ここにも現代とのリンクが存在する。
  イピゲネイアの犠牲死を更に観客に訴えさせる演出が施されている。それは、イピゲネイアの登場である。イピゲネイアは作品上全く登場することはない。だが、ミッチェルは、イピゲネイアを登場させた。猿ぐつわをはめられた白いワンピースの少女として。イピゲネイアは、幽霊として現れ、劇の進行の中、舞台上をうろつきながら、殺害劇を見守っている。幽霊だから、劇の中では完全に無視されている。だが、その存在を観客は目にしている。その疎外感と死の悼みと命のはかなさは無言で訴えられ、観客に戦慄を与え、また深く「オレステイア」のテーマにのめり込ませる。感心せざるを得ない、予想外のアイディアである。
  彼女は、ホール、ハリソンと同様に、「オレステイア」のためにたくさんのアイディアを生んだ。ホール、ハリソンがギリシアに回帰するアイディアであったのと対照的に、現代を喚起するアイディアをひねり出したのがミッチェルである。
  次にやってくるカッサンドラの場面は、凄絶である。アトレウス家を巻き込んだ人肉饗宴と子供の犠牲死、これから起こる殺害劇と自分の死、それらを一気に見透かした彼女は狂乱の状態に陥り、アポロンの名を叫ぶ。目を背けたくなるような場面を直視しないように、ホールがマスクを採用したのと裏腹に、ミッチェルはこの場面を目を背けたくなるほど凄絶にやってのけた。白いテーブルクロス上に、銀の食器を並べたテーブル、この上がいつのまにか、これから殺されるアガメムノンとカッサンドラの場面となっている。これは暗にテーブルの上に子供の肉が並べられたテュエステス家の饗宴を現している。カッサンドラは、黒いベールをかぶせられ、両腕を拘束された状態で、演技とは思えない迫力で泣き叫び、訴える。カッサンドラは本来美しい女である設定だが、カッサンドラ役のリロ・ボアー(Lilo Baur)はユダヤ人のような顔つきをしている。おそらくナチスによるユダヤ人迫害と照らし合わせた意図があったのだろう。そして、儀式だったのか暗示だったのか、鉢に入った血を口にする。そのとき、血を吐き出し、鉢を落としたとき、白いテーブルクロスが血に染まる。さらに狂乱の度を増す、カッサンドラはクリュタイメストラの死の直前を暗示してか、胸を露わにする。更にカッサンドラは嘔吐さえする。若い女性の演出家でここまでやれる人間はほとんどいないだろう。リロ・ボアーもアナスタシア・ヒルに並ぶ評価であった。「リロ・ボアーのカッサンドラのビジョンは恐るべき大成功の一撃である」(Storhard, 1999, The Times)「リロ・ボアーは憤怒と乳房を露わにさせたカッサンドラ、可愛らしい少女のエレクトラともに素晴らしい」(Spencer, 1999, Daily Telegraph)などと評している。二人に共通しているのは、圧倒せんばかりの感情の表出である。これはギリシア悲劇の世界だからこそ実現できたとみていい。このような劇評をうかがうと、マスクで感情の表出を抑制したホールの演出が受けなかったのもわかる。感情のほとばしる演技は観客を圧倒し、捉えて離さない。
  この後の場面も非常に印象深い。ベールをほどき王の館に入れられたカッサンドラは、両手を縛られ胸もはだけた状態で、チョークを使って床にメッセージを残す。非常に静かで薄暗い空間のなか、そのメッセージはビデオカメラによってスクリーンにも映し出される。その言葉は、

This was life.(これが人生であった)
The luckiest hours(最も幸運なときですら)
Like scribbles in chalk(チョークの殴り書きのようである)
On a slate in a classroom.(教室の黒板に書かれた)
We stare(私たちは目を凝らして見る)
And try to understand them.(そしてわかろうとつとめる)
Then luck turns its back-(突如幸運は裏返され)
And everything's wiped out.(すべてが消されてしまう) 

 この場面ほど、言葉に対し集中して理解しようとしたことはない。観客は皆、カッサンドラのメッセージであり、ミッチェルのメッセージであるこの言葉を真剣に考えただろう。ミッチェルが強調したかったのは、あまりにも簡単に命が失われ、あまりにも突然に人生が闇に落とされる世の無常であろう。「オレステイア」の中の不合理な死を、物語の中だけで片づけようとしない。彼女は現代にまで持ち込み、新たな切迫したメッセージを貼りつける。日本やアメリカの、青少年犯罪の増加、自殺件数の増加、そして戦争での大虐殺と膨大な犠牲を思い起こす。この「オレステイア」が現代劇だと認識する瞬間でもある。そしてまた、人生や正義というものは、辞書や学校ではわからない、生きていってようやくわかりかけるが、結局は理解できない、という「オレステイア」のテーマの深さをより深く克明に掘り下げる。
  アガメムノンとカッサンドラは、クリュタイメストラに殺害される。殺害現場は見せない。ただおびただしい返り血を浴びたクリュタイメストラが巨大な鉈を持って現れる。この女の恐ろしさは頂点に極まる。浴槽に入れられたアガメムノンとカッサンドラの死体が運ばれてくる。まるで人形のようにピクリとしない。俳優たちの集中力はこの上ない緊迫感を生み出していた。クリュタイメストラが自分を正当化するためにコロスたちに説明をする場面では、マイクが使われ、演説調になる。他にも、マイクを使い金切り声を上げる場面がある。この演出は必ずしもいいとはいえない。マイクを使った絶叫は観客には苦痛なほどうるさい。また、おびただしい血と殺害道具を誇示する演出も観客にはショッキングである。どれほど凄絶にやっていいかラインを引くことは容易ではない。そのため、この点では賛否両論わかれるところだろう。Observerの劇評で、Clappは「ミッチェルは時々素晴らしいが、時々馬鹿げている」(1999)といっているのは事実である。前衛的で溢れんばかりのアイディアを見せる演出家には共通してみられることだが、良いものもあれば悪いものもある。効果的な長所となるか欠点になるかは演出家のセンスに委ねられる。ミッチェルは、例えばトレヴァー・ナンのような欠点をほとんど0にするほど洗練されたセンスは持ち得ていない。彼女のセンスは、荒々しく刺々しい鋭利なセンスである。
  彼女の演出を振り返り、全体を通していえることは、映像表現が巧みなことだ。観客を釘付けにさせたい物や人、文字などをクローズアップし、プロジェクターで映す。イピゲネイアが走り回るシーンをコマ送りで映したり、殺害を終えたあと自分の怒りをアピールするクリュタイメストラの表情を一時停止にして映したり、私は心から驚嘆し、感銘を受けた。もちろん、映像を使うことは演劇的でないという意見があるだろう。だが、この演出の素晴らしい点は、演劇にないものを映像がもたらし、映像にないものを演劇で実現させたということだ。つまり、クローズアップやコマ送り、一時停止や録画などという演劇にないものがこの芝居で生み出され、その映像も、演劇という生の舞台で使われることで新たな可能性を生み出している。二つの要素が、お互いにない要素を補い合い、全く新しい芸術を生み出したのだ。この画期的な発見に、私は賛辞を送りたい。
  一回の休憩を挟んだ2時間50分のこの「アガメムノン」が、「オレステイア−第1部−」の「The Home Guard」である。続いて、第2部は「コエポロイ」と「エウメニデス」を含んだ「The Daughters of Darkness」である。休憩を挟んで3時間15分である。休憩をのぞくと、全部で5時間35分に及ぶ。
 
  墓地で始まる「コエポロイ」は、オレステスとエレクトラが再会する場面だ。ここでのユニークな演出は、墓を床下に作ったことだ。そして墓の内部から見上げるように床下にはカメラが取り付けられ、スクリーンに映し出される。すなわち、アガメムノン王の視点から、供養しながら復讐を誓うオレステスとエレクトラの顔が見られるのだ。オレステスとエレクトラが再会後、墓に酒や花を投げ入れる最中、アガメムノン王の霊がうろつき、濡れた足跡を残したりする。イピゲネイアに続いて、二人目の霊が静かに物語の展開に同居する。驚嘆すべきアイディアである。
  続いて、オレステスはピュラデスを伴い、旅のものと偽り王城に忍び寄る。ちなみに王城の門は、巨大な鉄の扉で、電動で横にスライドして開く。うまく侵入し、ご馳走にあずかるオレステスは母親を見ても子供らしい反応を見せない。アイギストスはタキシードを着たダンディーな男で、本来の弱々しさは薄く、クリュタイメストラと並ぶ油断のならない恐ろしさを感じさせる。ピアノやバイオリンの演奏を配し、豪華華麗な雰囲気を作っている。「オレステイア」では本来、王城の中の様子を説明する描写はないが、ミッチェルはその点にも気を遣い、アイギストスに対しても現代ならではの形象化がなされている。こうしてみると、「オレステイア」には明確にされていない白紙の部分が多く、どう色づけをするかは現代化の大きな課題であることがわかる。
  アイギストス、クリュタイメストラ殺害のシーンも凄惨である。殺害現場を見せないとはいえ、狭い劇場なだけに観客のすぐ近くの隠れた場所で行われるので、戦慄を感じざるを得ない。そして、オレステスも同様に血で染まった鉈を持って現れる。オレステスが現れ、アイギストスを殺されたと知ったクリュタイメストラが命乞いをするシーンもまた「オレステイア」の有名なところだが、アナスタシア・ヒルは乳房を見せて命乞いをする。言葉以上にその光景は訴えかける。オレステスが母親をも殺した後、観客の我々は、まさに目の前で起こった事件として「オレステイア」のテーマをつきつけられた。神話でも物語でもギリシアでもない、架空であって現実の事件とすることでより近い接点を得られるのだ。
  「アガメムノン」と「コエポロイ」二つは、非常に刺激的で想像力豊かな演出であったが、「エウメニデス」は三部作中最も上演に向かない作品である。休憩後、「Daughters of Darkness」の後半は、ミッチェルの演出といえど退屈であった。「エウメニデス」において退屈さは免れようがない。ただ、彼女は努力していた。注目すべきは、コテスロー劇場全体を法廷内部にしたことである。観客席は二方に分かれて座っている。だから、観客は法廷の陪審員のような気持ちでいられる。この演出も観客との距離を近め、テーマに向き合わせる有効な処置だ。
  助けに入るアポロンは神にはみえない格好をしている。白衣を着ているのだ。これはアポロンが医術の神でもあり、オレステスを浄化する役割を担っているからだが、一般の観客は不可解に思ったことだろう。「Empty Space」が前提であるから、神殿といえど装飾はなく、暗い陰鬱な雰囲気はそのまま引きずっている。
  エリーニュエスはユニークである。白いストッキングのような物を頭から被り、黒いスーツと帽子を身につけている。男もいれば女もいる。おそらく殺人を非難する不特定多数の人間を表現したかったのではないかと推測する。マスクが、表情を完全になくし、個性を失わせ、不特定多数の人間を表現しているのは、新たなマスクの使い道である。
  アテナは背の低い黒人の女性が演じていた。オリジナルの「オレステイア」を知るものには違和感を感じるかもしれない。いや、ギリシア神話のアテナのイメージ自体が黒人と隔たりがある。このプロダクションではギリシア神話であることは重要な背景ではないから、間違った演出とはいえないが、新しい法制度による秩序を産み出した人物としては、存在が弱い。ホールの場合には、巨大なアテナ像が中央に配置してあったが、そのような強大な存在感がアテナ、アポロン、双方に欠けている。だが、ミッチェルの演出、そしてテッド・ヒューズの翻訳は根本的に「神とは誰か、神とは何か」という疑問を呈している。ギリシア悲劇を現代に蘇らせるとき、必ずこの問題が浮上する。19世紀後半、ギリシア悲劇の解釈から、「神は死んだ」とキリスト教社会の信仰を蔑視したのは、ニーチェであった。現代の我々、特に若い世代層においては、信仰社会よりも物質社会に根ざした生活を送っている。よって、「神とは誰か、神とは何か」の問いかけは、重い意味を持つ。その疑問を促すには、ギリシア悲劇は格好の材料になるのだ。
  ミッチェルは、「オレステイア」の中に多くの、現代ならではの疑問を見つけだしている。「オレステイア」の物語自体は曲げず、あえてテキストに忠実に創ることで、この三部作の抱える矛盾点を提示し、観客共々考える場としている。彼女は、ナショナル・シアターの講演で、「正義とはなんなのか」悩んだといっている。「オレステイア」が、「なにが正しく、なにが悪いのか」という判断を迷わせ、袋小路に追い込む構成となっていることは既に述べたが、ミッチェルも演出家としてその問題に真っ向から立ち向かった。彼女がこの作品を通して想起したイメージは戦争の世界だった。湾岸戦争、ボスニア紛争、北アイルランド紛争をイメージしながら演出したという。この点を強調するべきだろう。というのも、「オレステイア」の作中で語られるトロイ戦争、殺害劇は確かに神話の世界であり、2500年前に書かれた古い話である。それを現代劇として、我々が現実の問題として捉えるには、我々にとってリアルに感じる状況を設定するのが近道である。彼女にとって、自分の生きている間に起こった戦争や紛争は、昔話にはないリアルさを持っている。観客にとっても同じである。
  彼女の想像力と手腕で新しく蘇った「オレステイア」は、なるほどSpencerのいうとおり、「アイスキュロスの`オレステイア’というよりも、ミッチェルの`オレステイア’」(1999, Daily Telegraph)といえる。だが、それは彼女の演出の手が劇世界や登場人物、照明、舞台装置に至るまであらゆるところに行き届いているのがわかるためで、決して彼女の「オレステイア」観を押しつけるものではない。彼女は、元々自分がギリシア悲劇をよく知らない人物であっただけに、あらゆる面で率直な刺激を受け、自由なイメージで創造することができたと語っている。観客もギリシア悲劇に造詣が深いわけではない。だからこそ、同じく自由なイメージで、自分の「オレステイア」を見られるといっている。確かに、無知や不正確さは危険だが、冒険を冒したからこそ、新しい「オレステイア」が生まれた。ピーター・ホールとケイティ・ミッチェルの二人が、同じ古典の三部作を演出しながら、対照的な作品となったことは、注目に値する。「ギリシア悲劇とはなんなのか」、「オレステイアとはなんなのか」、この問いに、全く異なる側面から豊富な示唆を与えてくれる。
  最後にいくつかの総評に代わるミッチェルに関する劇評を紹介する。
  
「ミッチェルの持つインスピレーションの大胆さと閃きに感銘を受けないわけにはいかなかった。私は決して忘れないだろう。赤い絨毯、たくさんの赤いワンピースをカギ編みにした、イピゲネイアの血で乾いた洋服。」 (Brown, 1999, Mail on Sunday)「これぞ真のミレニアムにふさわしいオレステイアだ」
(Storhard, 1999, The Times)「ケイティ・ミッチェルは現代演劇に焼き印を刻む演出家の一人である」 (Clapp, 1999, Observer)「我々は天才的なプロダクションを目撃した」
(Taylor, 1999, Independent)

 

 

 

4.現代演劇における三部作−Trilogy in the modern theatre−

 ここまで、ギリシア悲劇と「オレステイア」に目を向け、論じてきたが、この章では、三部作という観点から、他の現代演劇の作品を見ていく。現代の演出家や作家がどのような意図で三部作を表現形式として選んだのかは謎が多いが、紹介する過程で、その内容や構造、作品の反応から三部作の意味づけを探っていきたい。

 まず最初に紹介するのは、デビッド・ヘアー・トリロジー(The David Hare Trilogy)である。デビッド・ヘアー(David Hare)(1947~)は、英国の社会派作家で、1971年から1985年に至るまではハワード・ブレントン(Howard Brenton)(1942~)と何本かの作品で共作し、共に社会的なテーマをリアリスティックに描いた。彼のアプローチの仕方は歴史的な観点から見た英国の姿であり、「彼の半分以上の作品は、女性理想主義とユートピア思想の具体化に集約され、彼は社会によって判断されるべき道徳規準を示した。」(Innes,1992, p.205) ヘアーはアイスキュロスと似通ったことに、政治的な創作意図を持ち、自らの作品に啓蒙的なメッセージを多く含ませた。彼の作品は、ぬくぬくと暮らす英国の上流階級に対して不満感を持つ中流階級の人々に支持を受け、論争を巻き起こす劇作家として成功した。その彼の最も野心的な作品が、総称してデビッド・ヘアー・トリロジーと呼ばれる三つの作品で、「Racing Demon」「Murmuring Judges」「The Absence of War」である。三部作の中で、彼は英国教会や英国の法制度、政治のあり方を問いかけた。彼は、神話を題材にした教訓ではなく、現実を題材にした批判を世間に向けてアピールした。彼は周到に取材を行い、虚構ながら観客にとって現実的で近接的な劇世界を構築した。
  第一作目の「Racing Demon」は1990年ナショナル・シアターのコテスロー劇場で幕を開け、後にオリヴィエ劇場に移された。二作目の「Murmuring Judges」は1991年オリヴィエ劇場で、そして1993年、最後の作品「The Absence of War」の公開と同時に、前二作を再演し、三部作構成とした。おのおの一つの作品としてチケットを払うわけだが、特定の日には、三部作を一日で観ることもできた。演出家は、時のナショナルシアター芸術監督リチャード・エアー(Richard Eyre)である。
  「Racing Demon」は、四人の牧師が階級社会の伝統にもがきながら信仰の意味を考える話である。教会が、形だけの教義に固執し、牧師の仕事は労働の割に報われない。そして徐々に時代に取り残されていきつつある現状の中、果たして教会が現代に必要なのかを牧師の視点から描くのと同時に、信じられる物はなにかと問うことで精神面の理想を探る。この作品はエアーの優れた演出のおかげもあり、その年の最優秀作品に選ばれるなど評価は高かった。
  「Murmuring Judges」は、英国の法制度がテーマとなり、犯罪と刑務所、警察に焦点が当てられ、制度の無駄な部分を指摘する。この作品は、三部作の中でも最も構成が弱く、批評家は、取材による過度の説明と過熱気味の講釈に異議を唱える。
  最後の「The Absence of war」では、より現実的で目の前の事実として、1992年の選挙における労働党を描いた。しかし、これはフィクションというよりもドキュメンタリーに近い。実際彼は親交のある労働党員から話を聞き、実話を元に構成している。また主人公である労働党党首ジョージの生活面を描くことで、実生活と政治の問題を結びつけることに成功している。
  だが、三作品通して鋭く描いた英国社会と彼のニヒリスティックな理想主義は、どれだけの意味をなしたのであろうか。アイスキュロスの時代のように、市民に啓蒙する重要な意義があったのだろうか。Glennは、「作品は決してアイスキュロスのオレステイアのような機能は担っていない。しかし、それらは一つの作品では語れない。三部作の重要性は、それら存在そのものにあるようだ」(1994, in David Hare -A Case Book-, p.234)といっている。三部作の共通点は、どれもが英国社会制度をヘアーが攻撃したというだけで、三作は明らかに別個の作品である。登場人物の統一すらない。だが、面白いことに、彼の正義を激しく問いかける姿勢、また腐敗した旧制度を糾弾し、理想を夢見る思想は、アイスキュロスと同じである。だが、彼の三部作は、劇場を離れて運動が起きるほど人々の間に変革をもたらすことはできなかった。それどころか、反応は冷ややかでさえあった。政治的な活動はしばしば社会から疎外されるが、彼の反体制的態度と政治性があらゆる階級・職業の支持を受けるわけもなかった。ただ、Glennのいうとおり、三部作というスケールの大きな劇構成のおかげで、単発の作品よりも彼のメッセージが広く深く強く伝えられたことは確かであろう。

 アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)(1932~)の三部作もまた政治的な作品である。ウェスカーは、キャリアこそ乏しかったが、ジョン・オズボーンが火をつけた「怒れる若者たち(Angry Young Men)」のムーヴメントに乗って、ジョージ・ディヴァイン率いるESCの若手作家として成功を収める。1958年に、「Chicken Soup with Barley」を上演、1959年に「Roots」を、更に1960年には「I'm talking about Jerusalem」を上演した。これら三つの作品がウェスカー・トリロジーと呼ばれる。演出家はジョン・デクスター(John Dexter)が、舞台美術はロイヤルコートで仕事をし始めてまもないジョセリン・ハーバートであった。
  これら三つの作品は、単独の作品として成立するが、登場人物に関連性がある。それは家族という繋がりである。「Chicken Soup with Barley」は、1936年から1956年に至るKahn家を描いている。その成長した子供、Roonie Kahnのガールフレンド、Beatie Bryantの家族を中心に描いたのが「Roots」であり、そしてまた1946年と1953年のKahn家に戻り、AdaとDaveを中心に描いたのが「I'm talking about Jerusalem」である。年代に一貫した流れがなく、家族間の繋がりはあるが、各作品に登場する主要人物は異なる。それぞれ異なる方法ながら社会的政治的な問題を扱っている。「Chicken Soup with Barley」においてSarahは、無気力無関心を戒め、政治的な運動を推進する。共産主義者の側面から描いているのに対して、「Roots」は、より個人的な側面からアプローチする。そして労働者階級の人間たちに無関心から目を覚まさせ、意見を持たせようとする。「I'm talking about Jerusalem」では、社会主義理想の実現を登場人物に夢見させる。
  ウェスカーはいくつかのテーマは三部作に共通に存在するといっている。それは基本的に家族であり、見方を変えれば人間関係である。そして、最も重要な点を挙げれば、特定の社会的時期に政治的な考えに影響を受けた人々の物語だということだ。(Ribalow, 1965, p.35) ウェスカーの三部作は社会主義思想についての作品という見方で括ることもできる。彼は確かに自由社会主義の人間であった。(Innes, 1992, p.118) ある批評家は、「いまだかつて誰も、リアルで生の共産主義英国人を舞台にのせようとしたものはいない。重要なことは、彼らはリアルであり、確かに生きているということだ」(Tynan, 1960, Observer)といい、ウェスカーが激しくメッセージを発するだけの人間ではなく、個人レベルでの生き方をしっかりと描いたことを評価している。だが、ヘアーと同じ問題点を解消できていたわけではない。ウェスカーは若い作家に多いように、世間の矛盾や腐った実情に真っ向からエネルギッシュに立ち向かう。そして、彼の抱くある種の理想社会を提示する。作家が強烈な意見を述べるようになったこの時代に、その攻撃的な姿勢は無意味ではなかったはずだが、広く受け入れられはしなかった。しかし、受け入れられないことは彼自身もわかっていた。周囲の世界がそう簡単に変わるものではないことを知っていたし、はかない理想であることも気づいていた。ウェスカー自身を描いたといえるRonnieがそう語っている。理想は空想のようなものでしかなく、現実に目を向けようとしない人々の目を覚まさせることがより大切であった。だから、彼は自分の思想や理想を求めるのではなく、英国および世界が何らかの形で改善するために人々を、また社会を攻撃した。彼は影響力を持ちたかったし、そのために知名度が必要だともいっていた。(Ribalow, 1965, pp.113~122) 人々に影響を与える意味では、オズボーンの「怒りを込めて振り返れ」には及ばなかった。だが、この野心的な三部作は、新しい劇作家の誕生を世に知らしめるのには十分な力を持っていた。
 
  アイスキュロス、デビッド・ヘアー、アーノルド・ウェスカーは政治的な意味づけを三部作の中にもたらしたが、アラン・エイクボーン(Alan Ayckbourn)(1939~)の三部作は、全く趣向が異なる。本来、重いテーマを壮大に展開させる上で有効な形式である三部作を、軽妙に、喜劇として三種類の作品を用意した彼の試みは独特である。自分の主義主張を、より注目させ、より広く深くするために三部作という形式をとるのではなく、まるで思いつきのように三部作にしたエイクボーンのこの「The Norman Conquests」には、必然的意図はない。彼自身も「なぜ私がこのような野心的で、はっきりいって商業的でもない計画に手を出したのかわからない」(Ayckbourn, 1975, p.9)といっているくらいだ。彼の狙いは、作劇技術の新しい試みであって、そこには三部作でなくては伝えられない彼のメッセージは存在しない。だが、三つの視点を持つことで、「オレステイア」と同様に、観客はより客観的な、広い視野で劇世界を見ることができる。当然、そのことによって、生み出される発見は数多くあるだろう。だが、それらは三部作という試みの末に生まれた副産物であって、上記三人が三部作という形式を借りて訴えかけたメッセージとは根本的に異なる。彼は俳優にとっても演出家にとっても、何らかの挑戦と冒険が要求される作品を書き続けていた。
  「The Norman Conquests」は、「Table Manners」「Living Together」「Round and Round the Garden」の三作品で構成され、6人の登場人物(Reg, Sarah, Ruth, Norman, Annie, Tom)と時(七月の週末)は変わらない。ただし、場所だけが異なり、「Table Manners」がダイニングルーム、「Living Together」が居間、「Round and Round the Garden」が庭である。各題名は、それぞれの場所にちなんで名付けられている。Normanが女性を征服するために格闘する場所である。そしてまた、これらの場所は、結婚生活の皮肉な現実を映す場所でもある。エイクボーンは、家庭的な三つの場所を設定すると共に、三つの話を作り、より緊密な人間関係、男女関係を構築した。この作品では、男女関係の最も理想的な形であるはずの結婚が、皮肉にも色あせ、一層の不満を募らせる状況にまで来ている。そんな状況の中で逃避的な行動に出たり、新しい関係を気づこうとする男女のドラマは、表面的には喜劇であるが、その裏には自己破綻や理想の崩壊など悲劇がある。彼の作品はおかしさと共に観客の心にしみる要素を持っている。Krebsが、エイクボーンの作品は「entertain(楽しませる)」と「enlighten(啓発する)」の二つの大きな要素がある(1999, in Twentieth-Century Theatre and Drama in English, pp.291~311)と述べている通り、エイクボーンは決してメッセージを発することに積極的な作家ではないが、観客に考えさせる内容を構造の中に巧みに含ませている。
  「The Norman Conquests」は、1973年、英国北部の観光地スカーバラ(Scarborough)で上演され、翌年ロンドンに移された。演出はEric Thompsonである。
  この作品は連続性を持つ三部作ではなく並列性を持っている。エイクボーンは並列性ならではの実にユニークな書き方をした。というのも、彼はまず「Round and Round the Garden」の第一幕を先に書き、それから続けて他の二作の第一幕を書いた。それから同じような順序で第二幕を書き上げたという。これら三つの作品は、順序を持たないから、何から先に観ても構わない。エイクボーンは、連続性を持っていては、芝居を観に来るスカーバラの観光客にとって全作品観ることは難しいと懸念した。そこで、一つの作品で一つのまとまりを持たせたのだ。三作全てを観ることは不可欠ではないが、一作だけよりも二作、二作よりも三作と、観る楽しみが増える構成になっている。エイクボーンは「一作品を読むか、観れば、予備知識のおかげでとたんに残りの二作品は自然に色づき豊かになる」(Ayckbourn, 1975, p,12)といっているが、そのような効果が並列的三部作にはある。ちなみに同じように並列的な三つの挿話で成り立つ作品に、「Absurd Person Singular」(1972)があるが、こちらは一つの作品の中の三幕である。「The Norman Conquests」との違いは、特にない。長さが違うのと、チケットが三枚必要か、一枚で済むかくらいの違いである。エイクボーンにとって、「三部作」は作劇上の形式にすぎない。

 最後に、英国にとって、またナショナル・シアターにとって歴史的で記念碑的な三部作を紹介したい。トニー・ハリソンは「The Oresteia」だけでなく、極めて壮大なスケールの三部作を書いている。それが「The Mysteries」である。かつて1985年に上演されたこの事件的プロダクションは、1999年再演された。現ナショナル・シアター芸術監督トレヴァー・ナンは、こう語る。

「半世紀、我々の言語圏の演劇において、最も偉大な功績の一つが、ナショナルシアターの`ミステリーズ’である。演じる側と観る側の関係を見直しながら、我々の文化の根源を再発見した。我々はこの伝説的な作品が消えてしまったかのようにみえたが、ミレニアムから次の世紀へと渡る今、甦った」 
(1999, NT programme)

 「The Mysteries」は、1977年より、演出家ビル・ブライデン(Bill Bryden)、詩人トニー・ハリソンらが中心のチームで、聖史劇を調査し、失われた上演技術を探ることから始まった。聖史劇とは、人間の堕落、贖罪、最後の審判を題材とした中世の演劇で、聖体祝日に山車が行列を作って練り歩き、様々な場所で聖書の挿話を上演したものだ。民衆の中にとけ込んだ祭りの中の宗教を、現代劇として甦らせたが、押しつけがましい宗教臭さはなく、劇場の中で観客と一緒になって祭りを行うといった感じである。
  1977年に、「The Passion(キリストの受難)」がナショナル・シアターのコテスロー劇場で上演されると共に、公開に先駆けキリストの磔の場面がナショナル・シアターのテラスで行われた。テムズ川やセント・ポール大聖堂を背に巨大な十字架を背負って歩くキリストの姿、観衆の目の前で磔にされる姿は、強烈な印象を与える。演劇の歴史の中でも極めて珍しい光景である。1980年には、「The Nativity(キリストの降誕)」が上演され、1985年、「Doomsday(最後の審判)」の完成と合わせて、「The Mysteries」三部作がコテスロー劇場で上演される(コテスロー劇場が休館した一時期Lyceum Theatreで上演)。そして、1999年、ミレニアムを前に再演が果たされる。2000年にはキリストの磔場面を再びナショナル・シアターのテラスで行った。
  ちなみに、このプロダクションとは異なるが、1997年に「The Creation」「The Passion」の二部構成による「The Mysteries」を、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのThe Other Placeで、ケイティ・ミッチェルが演出している。三部作という稀な形式を追跡する作業で、特定の人物の名や劇場名が数回に渡って現れるのは面白い。
  合計6時間20分に及ぶ、三部作の最初に位置するのが「The Nativity」であり、続いて「The Passion」「Doomsday」と至る。旧約聖書の創世記から、最後の審判による世界の滅亡まで描く、演劇史上最も壮大なスケールを持つ作品であるが、ブライデンはハリウッド映画のように演出するのではなく、観客にとって近づきやすい演出を心がけた。彼は、聖史劇のように、人々が集まって、行われる挿話を観るというように、コテスロー劇場の狭い空間を使ってプロメナード方式を取った。コテスロー劇場の二階、三階席は座ってみることができるが、他の人はプロメナードチケットを購入し、舞台に集まる。舞台といっても、なにもない「Empty Space」であり、劇が始まると舞台上の様々な場所で、聖書に記された場面が展開される。それを観客は移動しながら観るのだ。これは画期的で素晴らしい方法である。生の俳優が目の前で演技をし、その日偶然出会った他の観客たちと劇を目撃する。「The Mysteries」は他では味わえない特別な経験を得られる。作品自体が、崇高で壮大で、演出もあっと驚くような仕掛けの連続であるから、その感慨深い特別な感覚はひとしおである。
  観客が劇場にはいると、内部はタペストリーや人類が生活するために考案した農具や武器などが飾られ、天井から吊された約二百本の大小さまざまなランプがオレンジ色に美しく照らしている。非常に幻想的で美しい空間である。そして、舞台上では劇が始まるまで、歩き回る人や、会話を楽しむ人たちがおり、中には俳優たちも混じっている。彼らは、子供たちにも話しかけたりするし、非常に和やかな雰囲気で上演開始を待っている。この作品によって皆と心に残る経験を共有しようという気持ちが見える。観客と舞台の壁がほとんどない一体感のある空間なのだ。
  そしてHome Serviceによる生演奏で音楽が流れる。「The Mysteries」の音楽および歌は、全て彼らの演奏による。劇の始まりを告げたら、俳優たちと一部の観客を巻き込んで踊りが繰り広げられる。全く堅い雰囲気も敬虔で近寄りがたい雰囲気もない。
  各挿話の演出は、コテスローの狭い劇場でこれほどのことができるのかと思うくらい凝っていて、驚きと感動を与えてくれる。アダムとイヴの誕生では、木の根元から土を割って裸のままで出てくる。ノアの箱船の場面では、木材を運んで来たかと思うとそれが組み合わされて船になり、洪水の場面を見事に再現する。神の登場では、電動式のリフトに乗って、高くあがり、オレンジ色の美しいランプの光の中にとけ込む。そして横からの強烈な一筋の照明が神を捉える。14〜15世紀に人々が工夫して行った聖史劇の技術を、劇場全体を使って、現代ならではの方法で行うのだ。更に、照明を目つぶしとして使って、イエスが消える場面や、舞台床の仕掛けを利用して箱から人が消えたり、手品のような演出もある。「The Passion」でのイエスの磔の場面では、観客の目の前で十字架に打ち付けられ、晒し者とされる。「Doomsday」では、退廃的な未来の世界になり、階段から歯のようなシャッターが現れて閉じたかと思うと、開いたときには中が空洞で人々が外へと救出される場面などがあり、ここでは観客の数人もその仕掛けを体験することができる。そして、三部作中最も大かがりで強烈な印象を与える仕掛けは、「ferris wheel(大観覧車)」と呼ばれる物で、この出現の瞬間クライマックスに達する。巨大な地球をデザインした車輪が神の背後に現れ、強烈な光を発し、回転する。そしてその中には苦しむ人間の姿が見える。世界の終末を表現するに十分な迫力とインパクトを持っている。おそらく、この「ferris wheel」ほど、強烈な印象を刻みつける装置は、他にないだろう。他にも、紹介しきれないほど、様々な機知と想像力に富む素晴らしいアイディアがあった。
  なぜ、聖史劇という宗教的な作品が、これほどまでに観客の心を打つのか。BillingtonもGuardianの劇評で疑問を投げかけている。

「いったい、なぜこのイベントはこうも我々を感動させるのか。それは単に素晴らしい舞台であるというだけでなく、巨大な一団を結成する我々参加者のプロメナードが特に大きいだろう。(中略)また、合理的な概念を突き抜く奇跡的な要素もあるのだろう」
(1999, Guardian)

 確かに、私もプロメナードに参加して、その計り知れない共有感と親密感を感じ、演劇の本質的ともいえる体験をすることができた。彼の意見に加えて、俳優、バンド、スタッフ含めたカンパニーのアンサンブルの良さも挙げられる。彼らのまとまりが心地よいだけに、プロメナードの観客は感慨深い体験を共有することができた。また、ミレニアムという千年に一度の年を目前にして、祝祭の雰囲気が盛り上がっていたことも1999年の再演には大きかったと思われる。そして、この壮大で多くの啓示を与えてくれる三部作に、祝祭のムードが相まって、失いつつある文化的遺産や精神性を思い起こさせてくれるようである。
  「The Mysteries」は、無からの誕生から、人間の繁栄を経て、無へと回帰する、神と悪魔を巻き込んでの比類ないスケールを持つ三部作ではあるが、「初めあり中あり終わりあり」と、三つの作品のバランスがよく、三部作ならではの構成をしている。各作品ごとのまとまりがあるので、単独の上演でも充分意味をなすが、三作はお互いに連結し、全体としての完成度も高い。また、1985年の上演においては、聖史劇復古の意味合いが大きかったが、ミレニアムを迎える時期に上演されたとき、更に大きな意義をなす作品となった。確かに宗教的であるが、「オレステイア」の宗教性とは異なる。また、中世の聖史劇とも異なると考えていいだろう。宗教観の薄れた現代において、この「The Mysteries」が喝采を浴びるのは、この作品に神への信仰が託されているわけではなく、人間たちによって人間たちのために創られた演劇だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論−Conclusion−

 かつてピーター・ブルックは、演劇の素晴らしいところは、人生や死といった人間の永遠の問題に接する場となることである、といっている。(Brook, 1993, p.62) 演劇作品は大なり小なり、そのような問題を提示する要素を持っている。古今東西の劇作家や演出家のなかには、この本質的な要素を真剣に生かそうとしたものもいれば、特別関心をもたないものもいる。アイスキュロスは、「オレステイア」に、人間の生と死、神への畏敬、正義、新しい社会制度、男性優位性など、様々なテーマを持ち込み、三つの異なる視点で描くことで、観客を深部まで考えさせ、また自らのメッセージを台詞にのせた。アイスキュロスの時代には、演劇の持つ役割はより市民に密接しており、それらのメッセージは民主主義文化の発展に貢献したと思われる。また、祝祭のなかの悲劇の競演は、人々に演劇漬けになることを許した。三部作という長い形式は、より深い演劇体験に人々を引きずり込み、現代のように一年中劇場で芝居が代わる代わる行われ、劇場に出向くも出向かないも数ある選択肢の中の一つでしかない状況より、祝祭ならではの価値があった。
  だが、三部作は変わらぬ特別な効果をもたらしてくれる。それは長さと深さ、多重視点の効果と特殊性である。現代の劇作家、演出家は、これらの特性を生かし、単発作品では達成困難な野心的意図を三部作に込めて創造した。劇場が人々の寄り集まる場所として、その役割を一手に担うには状況が変わりすぎた現代、長くて深い三部作を上演することは、困難になった。上演する意味すらも時には疑問に感じられる。現代において三部作が上演される背景にはいくつかの理由が考えられる。まず、演出家の技術向上による挑戦意識の高揚がある。この論文で紹介した演出家たちはいずれも素晴らしい技術と想像力を持つ。また、イギリスにおいて、特に上演される背景には、演劇発展国としての成熟および温故知新の文化性が考えられる。テーマという点でも重要である。既に紹介したように、政治的、社会的なメッセージを発するのに三部作は大きな力を持った。人間や社会を再思し、隠れた真理を探究できるのは演劇の秘めたる力である。人々を変革する力を信じる意識の高い劇作家、演出家たちは、おのおのにテーマを捉えた。ここまで述べてきたように、ケイティ・ミッチェルは戦争という現代の不可避的問題を扱ったし、デビッド・ヘアーは英国社会制度の現状を攻撃した。更に多重視点の効果は、視点を変えることで物事の新たな側面に気づかせたり、一方的な偏見に陥れない長所があり、また単調さから解放し、退屈さを紛らわせてくれもする。三部作は表面的には形式上のものでしかないが、ここまで様々な作品を見てきたように、確かに三部作ならではの特殊性が見える。少なくとも、単独作品では得られない、心に残る強烈な演劇体験ができる点で意味がある。「オレステイア」が不朽の名作として残っているのもこれらの理由からである。
  神話と儀式性を失った現代、「オレステイア」からそれらの本質的要素を甦らせようとしたピーター・ホールの上演は、現代演劇としては欠陥を露呈する結果となったが、最も忠実に演出されたものとして、演劇の歴史に名を残した。ケイティ・ミッチェルは、現代的背景に置き換え、斬新な動きと視覚に訴える演出で、「オレステイア」が現代劇になりうることを証明した。この二つのプロダクションは、全く対照的ながら、どちらも紛れもなく「オレステイア」である。マスクの有無、劇場の大小、古典的衣裳と現代的衣裳、語り中心と動き中心、ギリシアとイギリス、2500年前と現代など、一つ一つ細かく比較すれば、あまりに違いがある。しかし、「オレステイア」は「オレステイア」であり、内奥に潜む普遍性は変わることない。劇場には、いつの時代も「人間の永遠の問題」がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 (原稿用紙換算165枚)

  [List of References]

N.Astley(ed.), 1991, Tony Harrison, Bloodaxe Books Ltd.
A.Ayckbourn, 1975, The Norman Conquests, Penguin Books
L.Aylen, 1964, Greek Tragedy & The Modern World, Methuen & Co.Ltd.
M.Billington, 1993, One Night Stands, Nick Hern Books
O.G.Brockett & F.J.Hildy(eds.),1999, History of The Theatre Eighth Edition, Allyn & Bacon
P.Brook, 1968, The Empty Space, Penguin Books
P.Brook, 1993, There Are No Secrets, Methuen Drama
J.R.Brown(ed.), 1995, The Oxford Illustrated History of Theatre, Oxford University Press
J.Chioles, 1993, `The Oresteia and The Avant-Garde', Performing Arts Journal, No.45
W.W.Demastes(ed.), 1996, British Playwrights 1965-1995, Greenwood Press
E.R.Dodds, 1951, The Greeks and The Irrational, University of California Press
R.W.Dornan, 1998, Arnold Wesker -A Case Book-, Garland Publishing Inc.
K.J.Dover, 1957, The Political Aspect of Aeschylus' Eumenides
J.Drakakis & N.C.Liebler(eds.), 1998, Tragedy, Longman
P.E.Easterling, 1997, The Cambridge Companion to Greek Tragedy, Cambridge University Press
E.Erikson, 1964, Insight and Responsibility
M.Esslin, 1982, Plays & Players, No.340 January
S.Fay, 1995, Power Play The Life & Times of Peter Hall, Hodder and Stoughton
A.R.Glaap & N. Quaintmere(eds.), 1999, A Guide Tour Through Ayckbourn Country, WVT Wissenshaftlicher Verlag Trier
J.Goodwin(ed.), 1983, Peter Hall's Diaries, Hamish Hamilton Ltd.
J.Goodwin & L.Haill (eds.), 1988, Britain's Royal National Theatre The First 25 Years, Nick Hern Books.
J.Goodwin(ed.), 1989, British Theatre Design The Modern Age, Phoenix Illustrated
L.Haill & S.Wood(eds.),1998, Stage by Stage -The Development of the National Theatre 1848 to 1997-, Royal National Theatre Enterprises Ltd.
E.Hall, 1989, Inventing the Barbarian -Greek Self-Definition through Tragedy-
P.Hall, 1993, Making An Exhibition of Myself, Sinclair-Stevenson
P.Hall, 2000, Exposed by The Mask, Oberon Books Ltd.
R.Hayman, 1979, Arnold Wesker, H.E.B.Ltd.
J.Herbert, 1993, A Theatre Workbook, Art Books International
D.Hare, 1990/1996,Racing Demon, Faber and Faber
D.Hare, 1991/1993, Murmuring Judges, Faber and Faber
D.Hare, 1993, The Absence of War, Faber and Faber
T.Harrison, 1985, Theatre Works 1973-1985, Penguin Books
T.Harrison, 1985/1999, Plays 1 `The Mysteries', Faber & Faber
P.Hartnoll, 1985, The Theatre A Concise History, Thames and Hudson
T.Hughes, 1999, Aeschylus The Oresteia, Faber & Faber
C.Innes, 1992, Modern British Drama 1890-1990, Cambridge University Press
C.Krebs, 1999, `Alan Ayckbourn and His Obligation to Entertain and to Enlighten' in J.Kamm(ed.) Twentieth-Century Theatre and Drama in English, Wissenschaftlicher Verlag Trier
J.W.Kruth, 1947, `The Tragic Fallacy' in B.Clark(ed.)European Theories of the Drama
G.Ley & M.Ewans, 1985, The Oresteia as acting area in Greek Tragedy,Ramus
R.W.Livingstone, 1925, The Problem of the Eumenides of Aeschylus
G.E.R.Lloyd, 1962, `Right and Left in Greek Philosophy', Journal of Hellenic Studies, No.82
R.Mulryne & M.Shewring, 1999, The Cottesloe at The National, Mulryne & Shewring Ltd
R.Needham(ed.), 1993, Left and Right
A.J.Podlecki, 1966/1999, The Political Background of Aeschylean Tragedy, Bristol Classical Press
R.Rehm,1992, Greek Tragic Theatre, Routledge
H.U.Riblow, 1965, Arnold Wesker, Twayne Publishers Inc.
P.Roberts, 1975, The Psychology of Tragic Drama, Routledge & Kegan Paul
P.Roberts(ed.), 1989, The Best of Plays & Players 1968-1983, Methuen Drama
Royal National Theatre, 1999, Programme of `The Mysteries', Battley Brothers Printers
Royal National Theatre, 1999, Programme of `The Oresteia', Battley Brothers Printers
M.S.Silk(ed.), 1996, Tragedy and The Tragic-Greek Theatre and Beyond, Oxford University Press
B.Simon, 1988, Tragic Drama and The Family, Yale University Press
D.Shellard, 1999, British Theatre Since The War, Yale University Press
J.Szeliski, 1962/1971, Tragedy and Fear -Why modern Tragic Drama Fails-, The University of North Carolina Press
S.Trussler, 1994, The Cambridge Illustrated History British Theatre, Cambridge University Press
B.Vickers, 1973, Towards Greek Tragedy -Drama, Myth , Society-, Longman
J.M.Walton, 1996, The Greek Sense of Theatre -Tragedy Reviewd-, Harwood Academic Publishers
I.Watson, 1981, Conversations with Ayckbourn, Macdonald Futura Publishers
A.Wesker, 1960, The Wesker Trilogy, Penguin Books
D.Wiles, 1997, Tragedy in Athens, Cambridge University Press
R.Williams, 1966, Modern Tragedy, Chatto & Windus
C.Wilson, 1959, The Stature of Man
H.Zeifman(ed.), 1994, David Hare -A Case Book-, Garland Publishing Inc.
ジョージ・シュタイナー、1961/1980,「悲劇の死」喜志哲雄、   蜂谷照雄訳、筑摩書房
丹下和彦、1996、「ギリシア悲劇研究序説」東海大学出版会
テリー・ホジソン、1996、「西洋演劇用語辞典」鈴木龍一、真正節子、   森美栄、佐藤雅子訳、研究社出版
松平千秋、久保正彰、岡道男編、1990、「ギリシア悲劇全集1」岩波   書店
松平千秋、久保正彰、岡道男編、1991、「ギリシア悲劇全集7」岩波   書店
アリストテレス、1997、「詩学」松本仁助、岡道男訳、岩波文庫

<Theatre Review>

(Peter Hall's `The Oresteia',1981)
M.Amory, Spectator
J.Barber, Daily Telegraph
J.Bierman, Time Out
M.Billington, Guardian
M.Coveney, Financial Times
R.Cushman, Observer
J.Elson, Listener
C.Hischhorn, Sunday Express
K.Hurren, What's on in London
F.King, Sunday Telegraph
S.Morley, Punch
B.Nightingale, New Statesman
D.Orgill, Daily Express
M.Shulman, Standard
J.Tinker, Daily Mail
J.Wyver, City Limits

(Katie Mitchell's `The Oresteia', 1999)
G.Brown, Mail on Sunday
M.Billington, Guardian
R.Butler, Indepedent on Sunday
S.Clapp, Observer
M.Coveney, Daily Mail
N.Curtis, Evening Standard
J.Edwardes, Time Out
J.Gross, Sunday Telegraph
O.Jones, What's On
R.G.Langton, Express
A.Macaulay, Financial Times
D.Nathan, Jeweih Chronicle
J.Peter, Sunday Times
C.Spencer, Daily Telegraph
P.Storhard, The Times
P.Taylor, Independent
C.Woddis, Herald

(The David Hare Trilogy, 1993)
I.Aitken, Guardian
M.Billington, Guardian
M.Coveney, Observer
L.Doughty, Mail on Sunday
S.Grant, Time Out
J.Gross, Sunday Telegraph
R.Hattersley, Evening Standard
C.Hirshhorn, Sunday Express
D.Hope, Sunday Times
N.Jongh, Evening Standard
G.Kaufman, Independent
G.Lewington, Sunday Express
P.Mandelson, Sunday Times
S.Morley, Spentator
J.Nathan, Jeweish Chronicle
M.Paton, Daily Express
J.Peter, Sunday Times
M.Rutherford, Financial Times
N.Smith, What's On
A.Sierz, Tribune
C.Spencer, Daily Telegraph
J.Tinker, Daily Mail
I.Wardle, Independent on Sunday

(The Mysteries, 1985)
R.Asquith, Observer
J.Barber, Daily Telegraph
M.Billington, Guardian
C.Edwards, Spectator
C.Grier, Standard
N.Jongh, Guardian
J.Hiley, Listener
M.Hoyle, Financial Times
A.McFerran, Time Out
S.Morley, Punch
B.Nightingale, New Statesman
K.Hurren, Mail on Sunday
F.King, Sunday Telegraph
M.Ratcliffe, Observer
H.Rose, Time Out
J.Tinker, Daily Mail
C.Woddis, City Limits

(The Mysteries, 1999)
M.Billington, Guardian
G.Brown, Mail on Sunday
R.Butler, Independent on Sunday
P.Carnegy, Spectator
M.Coveney, Daily Mail
N.Curtis, Evening Standard
J.Edwardes, Time Out
J.Gross, Sunday Telegraph
R.G.Langton, Express
O.Jones, What's On
A.Macaulay, Financial Times
J.Peter, Sunday Times
C.Spencer, Daily Telegraph
P.Taylor, Indepedent
C.Woddis, Herald

 

back to STONEψWINGSホームページ