第6回 「演劇教育」

演劇のもつ可能性

 お芝居を観て、新しい考え方を発見したり、知識を得たり、共感して感情が揺さぶられたり、観たあとすがすがしい気分になったり、気持ちが高揚したり。そんな体験は、みなさんあると思います。特に演劇は映画と違って、生のものですから、体験もまた直接触れられるような生々しさがあります。

  こういった直接的な体験には、実はいっぱいの秘められた可能性があります。その可能性の中で、「教育的効果」を狙ったのが、「演劇教育」だといえるでしょう。といつつも、「教育」という言葉は、随分意味が広く、一言で「教育」というとぶっきらぼうに聞こえます。事実、「教育」しようという心構えになると、この種の試みは失敗するでしょう。

  「演劇教育」の対象となる人には様々なケースがありますが、おおむね「こども」を対象としたケースを指します。そしてまた、提供者側がとるスタイルにも様々あります。 「児童劇」と呼ばれるものは、児童が役を演じて創る形と、大人たちが児童に芝居を見せてあげる形があります。前者は学芸会のような形、後者は演劇鑑賞教室のような形でみなさんは接してきていると思います。まぁ、演劇教育に関連する用語というのは少し曖昧です。

  さて、子供たちが学芸会などで劇を創るとき、子供たちはどんな経験を得られるでしょう。なにかを発表するというだけで単純に心に残る思い出にはなるでしょう。クラスの友達と、話をしたり騒いだりする場になるというのもあるでしょう。先生から一方的に教えられる授業ではなく、より積極的に参加できるというのもいい要素です。劇の登場人物になることで、より性格もオープンになるかもしれません。劇の内容から、学ぶものもあるでしょう。

  確かに「教育的効果」になる要素は、あれこれ見つかるものです。でも、メリットばかりでしょうか。数学のように、このプロセスを経れば、これらのメリットに確実に辿り着けるというわけではありません。こどもは一人一人違うので、デメリットととなるケースも同様にたくさん考えられ、安易には取り組めない難しさがあります。やりたくもないのに、やらされたり、 いい役につきたいのに木とかをやらされたり、嫌な経験となってしまう人もたくさんいるでしょう。

  プロの劇団がお芝居をみせても、こどもの側からすると、見たくもないもの見せられてうんざりという子もいます。しかも時に教訓的だったり、よくある昔話だったり、役者さんが必要以上にこどもに笑顔を振りまいたり、単純につまらなかったり。普通の大人たち向きの芝居でもその良さはこどもにみせればわかるといわれるくらい、こどもたちの反応は鋭いです。

  「劇遊び」と呼ばれるスタイルでは、提供者側の大人がこどもと遊ぶことで、こどもの情操を豊かにしたり、自発性を伸ばしたりすることができます。これも、こどもたちに与えられる方法として大きな可能性を持っていますが、反面危険性も伴っています。もともと、こどもは遊びの達人。大人が介入して遊びを提供するよりも、友達同士遊ぶほうが遥かに楽しいでしょうし、誰もが進んで参加しようと思うわけではありません。

  演劇は、見えない力で直接に働きかける素晴らしい能力があります。これは間違いのないことで、心の傷をケアーするために利用されるときもあります。これは「ドラマセラピー」と呼ばれるものです。

  演劇教育に携わる人間として、大事なことがとてもたくさんあります。もちろん研究として「教育的効果」がどのように成されるのか分析することは必要です。と、同時にこどもを置き去りにせず、絶えずこどもを見つめ、こどもの立場になって考え、無理なく自然にコミュニケーションが取れなければなりません。「教育的効果」ばかりにとらわれず、自分たちもこどもから学ぶという姿勢も大事でしょうし、学ぶ学ばない関係なしに、こどもたちと接せられることも大切でしょう。

  まだまだ日本の演劇教育は発展途上です。実践者の常連さんたちは日本演劇教育連盟に加入しており、彼らの活動は閉鎖的な節もあります。これから、もっと大きな動きにして、もっとたくさんの可能性を探っていかなければなりません。
  それに、こどもたちはいつまでも変わらないものを持っていながら、やはり変わってきているのです。

 

※こちら2000年に記載した古いコラムになります。演劇教育の活動に関しては、2016年終わりより、一般社団法人日本グローバル演劇教育協会を立ち上げて活動していきますので、こちらのサイトに情報発信をしていきます。

一般社団法人日本グローバル演劇教育協会

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