2005年、Harold Pinter(ハロルド・ピンター)が、ノーベル文学賞を受賞した。この知らせを聞き、「受賞は当然といえるだろう」と思った。日本ではハロルド・ピンターは、あまり上演されないし、第一どれだけ理解できる客がいるのだろうと思う。2005年の夏、ピンター調の自作作品を上演したが、誰もついてこれる人はいなかった。専門家やピンターを上演したことがある人でないとわからない難解さが彼にはある。
ピンターについて簡単に基本情報をまとめると、1930年生まれのイギリスの劇作家で、戦後の演劇界に大きく刻印を刻んだ。代表作は、「The Birthday Party(1958)」、「The Caretaker(1960)」、「Old Times(1971)」などで、「管理人」や「ダム・ウェイター」、「帰郷」は邦訳され、上演もされていたと思う。映画の脚本の仕事もしているし、元々は俳優であった。
ピンターを理解する上でポイントになる点、また自分がピンターのこういうところが優れているという点を紹介すると、まず第一に「テリトリー」の問題がある。自分のテリトリーが侵されようとしたとき攻撃性を見せたり、居心地のいいテリトリーを見つけるために、時には相手と駆け引きをしたり、交友を持とうとしたり、追い出そうとしたりする。社会的な疎外感や孤独感は日常に潜在しているし、結局自分中心といった態度は思い当たることだろう。このテリトリー闘争が着目点の一つだ。
また、「力関係の変化」もまたよく見られる。日本の社会でもそうだが、上司にこびへつらったり、フリーターを軽蔑視したりはある。お店で「若い店長に怒られるバイトのおじさん」というのもそうだ。力関係というのが存在している。これが、芝居の中で急激に変化を遂げるときがある。例えば「管理人」では、ベッドや着るものを提供してくれた浮浪者がとてもその相手に感謝していたのに、もっといい環境を提供してくれる味方が現れたと思ったら、今度は手の平を返して口汚く文句をいったりする。
この「力関係の変化」の中に、「攻撃性」が見られる。「けんかっ早さ」もピンター作品の特徴だ。
それから「人のコミュニケーションの90%は、反抗的な逃れと沈黙の過程である」といっているが、そういう意味からも我々観客は「なぜ○○が〜したのかわからない」という行動の理由がわからない時が多い。そこが、不条理演劇の部類に入れられる理由でもあるだろう。ピンター自身は「キャラクターがそういったのだからしょうがないし、そう行動したのだからしょうがない」というようないい方をしている。普通、芝居をやる上で「原因と結果」「行動の理由」を探すのは当然であるが、ピンターの場合はこの試みを持つと、「よくわからない」とサジを投げてしまう人が出てくる。
「Pinter Pause」 という言葉がある。私自身、ピンターをよく知るようになってから、多用する手法だが、彼の作品には無数の「silence(沈黙)」「pause(間)」「...」が多い。この三つは、他の劇作家でもよく使われるものだが、ピンターの場合はこれらがとても効果的に使われており、絶妙で正確だ。
「Pinteresque」という言葉があるくらい、ピンターの劇作法は特殊であるが、彼の言葉の選択の巧みさは見習って余りある。実に短い言葉のやりとりで、深いものを表現している。また、機知に溢れていて、ピンター作品の見方を知っていれば随所に笑える。
ピンターの作品は、想像力が広がって楽しい。なにも決めつけていないからだ。謎が謎のまま存在している。想像力で見れば、様々な解釈が出来る。キャラクターの心の中、過去、環境を詮索してみたらいい。想像し、解釈するのは自由なのだ。