第7回 「メソッド・アクティング」

スタニスラフスキーから出発して

 日本は文化においても政治においても、アメリカの影響を受けてきた。かつて、世界に広まった「スタニスラフスキー・システム」の探求も、いち早く乗り出したアメリカから学ぶという形で日本にも根付いた。日本のシステム探求は、実を結ばなかったといって過言ではないだろう。なぜか? それほど、システムが難解に満ちているのか? いや、そうではない。要するに理解するにはセンスがいるのだ。日本のように、演劇芸術が独自の道を辿った国では、外国の演劇を理解するにも一苦労であったろう。イプセン、チェーホフ、シェイクスピアなど様々な劇作家が紹介され、上演もされた。芸術論も語られた。しかし、それらを欧米並に理解するには歴史が足りなかったといえよう。芸術は一朝一夕には育たない。

  さて、スタニスラフスキーについては、「チェーホフ」の項で触れたが、彼が伝説的な時代を築いた後、彼が残した演劇の遺産を巡って、世界中で研究が続けられた。アメリカで
研究発展され、映画の現場でも生かされ、有名になったのがいわゆる「Method Acting(メソッド・アクティング)」というものだ。これを「スタニスラフスキー・システム」と呼ばないのは、やはり米国で独自の発展を遂げたということが大きな理由であろう。それから、演技法を探していた時代に、ちょうどモスクワ芸術座がアメリカ公演を行ったので、新しい演技メソッドを希求する熱が一気に高まったということも考えられる。

  メソッド・アクティングの指導者としては、この三人が挙げられる。リー・ストラスバーグ[Lee Strasberg](1901−82)、ステラ・アドらー[Stella Adler](1901−92)、サンフォード・マイズナー[Sanford Meisner](1905−97)。この三人はめいめい特徴がある。簡単に分類すれば、ストラスバーグは心理面を、アドラーは社会学的な面を、そしてマイズナーは身体運動面を開拓したといえる。これは、それぞれにスタニスラフスキー・システムを違う切り口で研究した結果だ。だが、日本で知られているのは主にストラスバーグ一人である。そのことが理由であるのか定かではないが、スタニスラフスキー・システムが心理面ばかりを追いかけて、頭でっかちな演技論だという誤解がいまだにある。

  順に三人のメソッドを簡潔に紹介しよう。ストラスバーグは、relaxationを行い緊張を解きほぐしconcentrationを高めることで、俳優個人の生活や経験から五感の刺激を呼び覚まし(sense−memory)、よりリアリスティックな演技を追求した。

  アドラーは、与えられた環境(given circumstances)を意識して身を置くことでimaginationを高め、それによって感情を呼び起こし、演技に生かした。ストラスバーグは、俳優個人から引き出して役作りをさせたが、アドラーはむしろ劇世界と登場人物を社会学的に分析することから役作りをさせた。更に、アドラーは身体運動にも目を向けた。

  マイズナーは、身体の動きは言葉に勝るという考えの持ち主で、その点はメイエルホリドに似ている。考えるより先に動けという演技論は、ストラスバーグやアドラーと対照的である。彼は、稽古において常に繰り返す(repetition)ことを重要視した。

  三人のメソッドは、それぞれのメソッドである。だが、どれもスタニスラフスキーから出発している。このような試みの歴史は、アメリカの演劇界映画界に強く影響を与えた。

  勘違いしてはならないのは、システムはたった一つの道を示した教科書ではない。彼らのように、システムを手がかりに探求することが大切である。スタニスラフスキーは多くの素晴らしいアイディアを与えてくれる。それを今の時代の我々が、どう発展させ生かすかだ。
 

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