第9回 「なにもない空間」

The Empty Space

 「なにもない空間」という言葉を聞いたことがある人はいると思う。ピーター・ブルックの著書 「The Empty Space」の翻訳出版のタイトルである。ブルックのこの著書は、発刊以来英国では演劇を志すもののバイブル的存在であり続けている。しかしながら、日本では、数十年前に出版されながら、ただ書店に並んでいるだけで、かなり演劇を熟知する人たちの間でしか活用されていない。この本は演劇を志す若者たちが、よく読みよく理解してほしい本だが、プロの人たちにさえこの本は読まれていない。

  ブルックはこの本の中で、演劇を四つの種類に分けて論じている。すなわち「腐敗演劇」「神聖演劇」「野生演劇」「直接制演劇」である。そのことはさておき、タイトルにもなっている「The Empty Space」について話をしたい。

  「The Empty Space」の訳が「なにもない空間」というのはあまりいいとは思わないが、かといって適当な語が見つからない。ぼくは「0空間」という訳を使うこともあるが、通常「エンプティー・スペース」と呼んでいる。それがいいように思う。

  演劇というのは、「誰かと誰かが出会う。それを観ている観客がいる」。これで成り立つ。その場があればいいわけで、装置などなくても空間があれば演劇は成り立つ。つまり基本的な概念は、0である。

  日本の舞台装置は、非常に作り込んだものが多いが、英国の質の高い舞台というのは、装置は必要最小限に絞り込んでいる。優れた演出家は、出来る限りなにもない空間を利用したがる。それだけ、作らないということは優れた舞台を創る上で大事なことだ。

  なぜか。それは、観客には想像力がある。生で観る舞台は想像力を喚起させる。リアルな装置は、リアルさを伝えることができるが、想像力を制限させる。目に見えているものを観るからだ。目に見えないものを観させる。これが出来る演劇は素晴らしいではないか。それこそまさに演劇が「芸術」であることを決定付けている。 「エンプティー・スペース」の概念に乏しい日本は、また「演劇が芸術である」という概念にも乏しい。

  舞台というのは、0から生み出す。演出家は、0から∞を生み出したいと思う。装置を作れば作るほど有限になっていく。かといって、観客が無限の想像を沸かせる、というわけではない。おそらく実際に作り込んだ舞台装置のほうが、視覚的には見ているだろう。では、装置を作り込んだほうがいいのか?

  それは違う。「エンプティー・スペース」の利点は、想像力の喚起だけでなく、「集中度を高める」利点がある。より俳優の感情・エネルギーがダイレクトに伝わる。これは観客と舞台との距離や、客席の設置法にも大きく影響されることなので、そのことについても述べるが、 より劇的効果の高い「エンプティー・スペース」を生かすために、多くの劇場や演出家は、@舞台と観客の距離を縮める。A客席が舞台を取り囲むように設置する。ということをしている。商業的にはマイナスになってしまうが、より緊密で観客の心を揺さぶる優れた舞台を創るために、RSCでは、「The Pit」「The Other Place」、NTでは「The Cottesloe Theatre」という小劇場を持っている。これらは、客席数わずかに200〜300程度で、客席が舞台を取り囲むことが出来る。他には、「Donmar Warehouse」「Young Vic」「River Side Studio」といった、有名な劇場がある。

  日本でいうと、「ベニサン・ピット」「彩の国さいたま芸術劇場小ホール」などが「エンプティー・スペース」をうまく活用できるいい劇場だ。日本の多くの小劇場は、「空間」というものが意識されていないため、客席を組みづらかったり天井が低かったりする。

  「エンプティー・スペース」を意識した舞台創造は今後もっと活発になっていくだろう。そして多くの作品が生まれることによって、その利点も実体験され、理解されていくに違いない。海外からの招聘作品が少しづつ門を開いてくれている。ブルックが1968年に本を出してからもう35年経つが、そろそろ遅ればせながら日本も気づいてくるだろうか。

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