世界から学ぶ演劇特論~シラー編~

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こんばんは。
すいちです。
演劇特論2回目はフリードリッヒ・フォン・シラー。

 

ドイツの劇作家・詩人・哲学者・歴史学者です。
シラーの作品の根底には「自由を求める精神」があります。

 

処女作の「群盗」は権力に反抗する崇高な犯罪者を主人公とした物語です。
この作品は観客に強い影響を与えました。

 

また、シラーといえば、日本で一番有名なのは
ベートーヴェンの第九交響曲でしょう。
第九の原詩はシラーが書いた『歓喜に寄す』です。

 

演劇特論ではシラーの芸術論について、
特に『カリアス書簡』に書かれていることの一部を学びました。

 

カリアス書簡はシラーが友人ケルナーに宛てた書簡です。
その中で一つの寓話の寓話を簡単にご紹介したいと思います。

 

厳寒の路上で追いはぎに襲われて裸にされたひとりの男が、
次々とやってくる旅人に助けを求めるという物語です。

 

■一番目の旅人:気の毒だ。お金をあげよう。でも見ているのは辛いから、
このお金で別の人に助けてもらってください。
⇒単なる感動からの善意。功利的でも、道徳的でも、寛大でも、美しくもない。

■二番目の旅人:金は惜しいけど、人間としての義務は果たしたいので、お金をくれれば助けてあげます。
⇒功利的で美しくない

■三番目の旅人:思案したのち、自分は病弱で疲れているけど、私の外套と馬をあげます。
⇒純粋に道徳的だけど、それ以上ではない。

■四番目の旅人:やってきた二人は男の敵で、二人を不幸に陥れた男に対して、復讐をたくらんでいた。
着物をあげよう。でも、許したわけではない、哀れだから。
⇒高慢

■五番目の旅人:自分の荷物を放り出して、自ら進んで助けを申し出た。
美しい

 

どの人も助けてくれようとしたのですが、それだけではダメなようです。
なぜ五番目の旅人の行為が美しいかといえば、
●自分を犠牲にした
●求められるからではなく、自ら進んで助けた
●思い煩うことなく、本能的だった

 

そこに思惑や打算があってはいけない、自然に道徳的な行為をしてこそ美的行為になるということです。

 

この寓話を読んで私が思い出したのは「ドン・カルロス」のポーサです。
彼はまさにシラーの理想を投影したキャラクターだと思いました。
「ドン・カルロス」はSKY SOART Ψ WINGSでも上演している作品です。

 

一番目から四番目の旅人のほうが人間的、
葛藤があるからこそドラマが生まれる、
という意見もありました。

 

私もそう思います。
でも、五番目の旅人や、ポーサのように
普通の人間が簡単にできないような「美しい行為」にもまた感動します。

 

ふと私はまた違う物語を思い出しました。
トルストイの童話「七つの星」です。
私の大好きな童話。
この物語はも「美しい行為」だなと思うのですが、
どうでしょう?

 

シラーの美学論、芸術論はカントの影響を大きく受けており、
もっともっと奥が深いのですが、
ブログ上で紹介しようと思うとものすごい長文になりそうなので、
興味のある方はシラーの本や、シラーに関する本を読んでみてください。

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