「それぞれの終末/週末」

                         別役慎司

                              (2013)

 

 

 

   「終末」

登場人物
・平順平(たいらじゅんぺい)
・嵜(さき)さやか
・エスメラルダ真璃(まり)

 

 

   土曜日。昼。
   順平とさやかのマンション。
   テーブルに座り、うつむいたまま微動だにしない順平。テーブルには「終末論」と書かれた分厚い本が置いてある。

   そこに、旅行用のキャリーケースを引いて、さやかが帰ってくる。

さやか (玄関で)ただいまー。順平いるー?  ごめんね、帰りのバスが遅れちゃってさぁ。疲れた、疲れた。はー、やっと帰ってきた。(リビングに入って止まる)どうしたの? テーブルとにらめっこして。もう、一週間くらい出かけてただけでそんなふてくされないでよ~。(間) なんのあてつけなの、それ? こっちはずっと缶詰のように研修受けてて大変だったんだからねー。疲れたぁ。

   さやか、引き戸を開けて自分の部屋に入るやいなや、子犬の鳴き声。荷物を置く。

さやか ちょっと、チャーリーちゃんと遊ばせたー? ずっとサークルに入れてたんじゃないでしょうねー。おー、よしよし! ねぇ、ちゃんとご飯あげたー? お腹空かしてんじゃん。

   さやか、ドッグフードを皿に入れる。

さやか (小声で)育児放棄とかありえなくない?

   サークルケージの中に皿を入れる。

さやか ごめんね~。ん? 外に出たいの? 出たいよね~? ちょっと待ってね。あとで散歩に連れて行ってあげるから。

   さやか、リビングに戻る。
   引き戸を閉めると鳴き声も消える。

さやか ホントに疲れた。ちょっとお昼食べたー? (立ち止まり)ねぇ、なんのサプライズそれ? 無言サプライズ? なにも嬉しくないんだけど。 (テーブルの本を見つけて)なにこの本? 「終末論」……。怪し。あんた、あたしが一週間いない間こんなマニアックな本読んでたの?(キッチンを見て)あ~あ、洗い物もたまってるよ。ちょっとさ、お茶入れてくれない?(上着を脱いで椅子に座る)  
順平 お茶なんか入れても意味がないよ……。
さやか なにいってんの? 意味がないわけないじゃん。あたし飲みたいんだもん。
順平 細胞は分裂しては消えていくねぇ?
さやか は?
順平 消えていった細胞はどこにいったのかな?
さやか なにわけわかんないこといってんの?
順平 消えていった細胞は……消滅するんだよ。

   間。

さやか うん。
順平 (ため息をつく)
さやか なにがあったのよ? いらつくなぁ。
順平 細胞はぼくたちなんだ。
さやか だからなにいってるの。
順平 消滅するんだ。
さやか あほくさ。細胞は、生まれ変わってるの。ターンオーバーの話をし出すとあたし長いよ。いいの?
順平 考えてご覧。人間は、ずっと細胞のように新しく生まれては消えていった。
さやか そうねぇ。
順平 だけど、際限なく増えすぎてしまったが故に、生まれ変わりのサイクルを維持できなくなったんだ。

   間。

さやか (語気強く)どうして?

   間。

順平 その理由はここに書いてある。(「終末論」 を差し出す)

   間。
   さやか、本を取って、ぱらぱらとめくる。

さやか これ、誰かにもらったの?
順平 (首を振る)
さやか 自分で買ったの?
順平 (うなずく)
さやか 自分で自分を洗脳しちゃったわけ?
順平 なにいってるの。これは気づきなんだよ、目覚めなんだよ。
さやか やば。リアルに洗脳されてる人初めて見たわ。よく一週間でそんなになったね? 確かに、あんたは影響受けやすいタイプではあったけど、すごいよ。一週間研修受けて、変わらない人だっているのに、あんたすごいよ。ちょっと。カウンセリング行こ、カウンセリング。これ、早いほうがいいわ。ほら、立って。
順平 みんなもう死ぬのに意味がないよ。
さやか そんなことないって。
順平 全部意味がないんだ。
さやか せっかく就職できて、これから働き出す人間にいう台詞じゃないから。(スマホで検索しながら)「脱洗脳」「カウンセラー」……
順平 意味がないんだよ、わかってないんだ、さやかは!
さやか ああ、うるさい! あたしの彼氏の最近の口癖が「意味がない」って最悪だわ~。フェイスブックのネタにもできないわ。はっ、ここが近い。「エスメラルダ真璃事務所」。

   音楽。
   *  *
   エスメラルダ真璃鑑定事務所。
   重厚な机に座っているエスメラルダ真璃。   
   二人の前に順平とさやかが並んで座っている。   

さやか で……これがその本です。(「終末論」を差し出す)
真璃 大丈夫よ、その本についてはよく知っているわ。
さやか そうなんですか?
真璃 えぇ、トラブルの多い本なの。彼のような人は最近多いわ。
さやか 大丈夫でしょうか?
真璃 もちろん。いい、順平君? あなたは世界が終末を迎える原因をこの本から学んだのよね?
順平 そうです。
真璃 原因を追及するという真面目な姿勢はとても素晴らしいわ。その原因が、納得できるものだったのね?
順平 はい。
真璃 でもね、原因にも原因があることをご存じ?
順平 え? どういうことですか?
真璃 終末論の原因を作った原因よ。
順平 人間の愚かさが招いたのでは?
真璃 ううん。そうじゃなくて、終末論を書いたのは誰?
順平 ロバート・F・ピカリング博士です。
真璃 そう、ピカリングが終末論を作ったのよ。
順平 作った?
真璃 いい? 彼が終末論を作った原因とは、彼が病的に病んでいて、同じように病んだ人間を作りたかったからよ。それが原因の原因。
順平 そんな……。
真璃 つまり、全部でっちあげなのよ。
さやか そんなことだろうと思いました。
順平 だって、たくさんデータでも示されていましたよ。
真璃 それもでっちあげ。
順平 嘘だ!
さやか いや、美容業界でもでっちあげのデータは多いよ。
真璃 嘘だと思うなら、彼について調べたデータを見せてあげるわ。いろんなところで告発されてるのよ。虚言癖があることや、精神病院への入院歴など。(パソコンに手を伸ばす)
順平 ……。
真璃 見せましょうか?
順平 ……いえ、結構です。

   間。

真璃 (さやかに)彼女さん。もう大丈夫よ。
さやか ありがとうございます。
真璃 でも、彼は少し動揺してるから、不安を取り除くカウンセリングをしておかなきゃ。ちょっと席を外して頂いてよろしいかしら?
さやか はい。よろしくお願いします。

   さやか、ほっとした様子で部屋から出て行く。

真璃 ……さて、ショックだったかしら?
順平 世界の終末は来ないんですか? こんなに人間は悪いことをしてきたのに、なにもしっぺ返しはないんですか?
真璃 そうね、あるでしょうね。実際に世界中の人たちが苦しんでる。
順平 ですよね。
真璃 でも、結果は終末ではなく、希望なの。
順平 希望?
真璃 そうよ。これからの時代は、絶望組と希望組に分かれていくのよ。あなたのように真実を知ろうとする人は、必ず希望組に入れるわ。
順平 本当ですか? でも、正直、今のぼくには終末しか見えてなくて……。
真璃 ええ、地球の視点ではね、しょうがないわ。
順平 地球の……?
真璃 地球の視点を超えればいいのよ。この宇宙には、既に絶望ではなく希望を見いだした宇宙人がいるわ。
順平 宇宙人? そうか。
真璃 そう。地球だけを見ているなんて視野が狭いと思わない? 宇宙には、全ての原因を知っている進んだ存在がいるのよ。
順平 (興奮して)全ての原因?
真璃 そう。
順平 どうすれば、宇宙人の知恵を得られるのですか!
真璃 それは順に教えてあげるわ。知りたい?
順平 はい!
真璃 さすが選ばれた存在ね。
順平 (かーっと熱くなって)ぼくが選ばれた?
真璃 地球にあって宇宙にないものってなに?
順平 え……? すべ……
真璃 (割って入って)お金よね? お金は地球上で学ぶために使ったらもう必要はないものよ。あたしが宇宙人の知恵を教えてあげる。あなたがお金を学びのために使い切ったとき、あなたも希望組よ。
順平 (感動して)エスメラルダ先生!

   思わず握手を求める順平。
   音楽。
   *  *
   順平とさやかのマンション。
   テーブルに座っている二人。ニコニコしている順平。頬杖をつき、落胆しているさやか。

順平 (はっとして)そうだ、学びを早めるためには、早くお金を使わなきゃ。(立ち上がる)
さやか (慌てて止めて)ちょっと待って! もう、ホント頭を整理する時間くらいちょうだいよ~。どうやったら、あの短時間でこんなに豹変しちゃうのよ。
順平 宇宙人がぼくを呼んでいる。
さやか 呼んでないから。も~、こんなヤツ別れてもいいけど、今別れたら確実にこの子破産するし……ただでさえ家賃の9割あたしが出してる状態なのに……。なんでこんな面倒背負わなきゃいけないのよ~。
順平 希望組!
さやか 北朝鮮のなにか?
順平 さやか、ありがとう。エスメラルダ先生のところに連れて行ってくれて。
さやか 死ぬほど後悔してる人間にいう台詞じゃないわ。
順平 さやか、死はもう存在しないよ。
さやか 消滅するっていってたじゃない。
順平 いざ、フォトンベルトを超えて、アセンションの宇宙へ!
さやか 意味わかんない! 
順平 クォンタムリーープ!
さやか マンションで変な声出さないで! もう一度ちゃんと説明して。
順平 だから、原因の原因があって。
さやか うん。そこまでは聞いてた。
順平 その原因を裏返したところに、希望という名のもう一つの原因があったんだよ。
さやか それはなんなの?
順平 宇宙人の知恵。
さやか (気持ちを強く持って)その宇宙人の知恵を、どうしてあの女が知ってるっていうの?
順平 え?

   間。

順平 どうしてだろう? 
さやか じゃあ、順平は、原因を知らないんだね。
順平 (当惑する)え?
さやか 宇宙人の知恵を知ってるという結果には必ず原因があるはずよね?
順平 でも、それをこれから教えてくれるんだと思うよ。
さやか お金を払ってでしょ? それおかしいと思わないの? なんでお金を払わないいけないの?
順平 宇宙にはお金がないから。
さやか 宇宙には酸素すらないわよ。ねぇ、じゃあ、あの女は希望組なの?
順平 「あなたも」っていってたから、たぶんそうだね。
さやか じゃあ、あの人もお金持ったらダメじゃない。

   間。

順平 じゃあ、希望組じゃないんだよ。
さやか 宇宙人の知恵を知ってるのに?
順平 ……。
さやか でっちあげよ。
順平 んっ!
さやか 騙されたのよ。
順平 んんっ!

   目をかっと見開いたまま呆然とする順平。
   さやか、思い立って、キャリーケースのところにいき、研修資料を取ってくる。(引き戸を開けているとき、しきりに犬が鳴いている)

さやか 人間はなにでできているか知ってる?
順平 え?
さやか 人間のほとんどは水でできているのよ。つまり、人間という存在の原因は「水」なの。
順平 確かに。
さやか あのピカリングとかいう人も、エスメラルダとかいう人も、水で出来てるの。全ての原因は水なのよ。
順平 原因の原因を作った原因は……水。
さやか そう。全ての生命の源は水なのよ。だから水を制するものは世界を制するといわれて、今美容界も注目してるの。たぶん宇宙人も水を制すれば宇宙を制すると思ってるわ。なにしろ、宇宙には水がほとんどないんだから。
順平 (感心して)そうだね。
さやか 水で出来ているんであれば、いい水を体内に入れたいと思わない?
順平 それは。
さやか 実は、今話題の炭酸水や水素水は、毒素を排出したり、血行を促進したり、様々なメリットがあるのよ。
順平 本当に?
さやか あたし、水についてはなんでも知ってるから。なんでも聞いて。
順平 お金出したら、教えてくれる?
さやか お金はいらないから。(小声で)たいして持ってもないくせに。お金は、いい水を買うために使いなさい。
順平 わかった。
さやか (表情がやわらぐ)
順平 ところで、水を作った原因はあるの?

   間。

さやか それは……神様よ、神様。
順平 そうか。
さやか (窮しながらも)神様は偉いわね~。水を作り出しただけでなく、水を買えるようにお金というものもこの世に生み出してくれたんだから、順平は一生懸命お金を稼げばいいのよ~。
順平 そうか……そういうことか。ありがとう、さやか。ぼく、働くよ。

   その言葉を聞いて、はっとするさやか。
   間。

さやか (感極まる)やっと……。

   音楽。
   幕。

 

 

 

 

 

   「週末」

登場人物
・五島(ごとう)ひより
・嵜(さき)さやか
・沼津哲(ぬまづてつ)

 

 

   日曜日。
   昼下がりの公園。
   公園のベンチに五島が座っている。なにをするでもなく、ぼ~っと斜め下を見て、時折ため息をついている。
   そこから離れて、植木職人沼津が剪定をしている。

   犬を連れたさやかが、やってくる。犬は小型の室内犬である。
   (基本的に、全てイメージとマイムで行う)
   沼津がゴミ袋を広げて、剪定後の枝葉をゴミ袋に入れ始めると、犬がくわえて持って行こうとする。慌ててゴミ袋を押さえる沼津。

さやか すみません! ダメよ、チャーリー。
沼津 (公園に犬を入れていいのかという顔で辺りを見回す)

   チャーリーが、庭木の前でウンチをし出す。
   呆れるさやか。びっくりして凝視する沼津。
   すまなそうに、ウンチを回収し、きれいに丸める。ゴミ袋を自分の方に引く沼津。
   さやか、ゴミ箱を見つけてウンチを入れる。

さやか (五島を見て、あれと思い)……先生? 五島……先生ですよね?
五島 (顔を上げる。はっとして暗い顔を打ち消し、笑顔を浮かべる)あら、あなたは、え~っと、嵜さんね、嵜さやかさん。   
さやか そうです! ご無沙汰してます。
沼津 ?
五島 元気そうね。本当久しぶり。今は、大学何年生?
さやか 今年の春に卒業しました。
五島 あらそう!
さやか 化粧品メーカーに就職決まって、もう社会人ですよ。
五島 早いわねぇ。
さやか 早いですね~。でも、こんなところで会えるとは思いませんでした。先生の家ってこの辺なんですか?
五島 ん~、そうね、(ごまかす感じで)近くといえば近く。
さやか よくこの公園に来るんですか?
五島 いえ、あの~、この近くにね、学校の教員寮があるのよ。
さやか え? そうなんですか?
五島 わたしも独身のときは寮にいて、なんだか懐かしくなって来ちゃったのよね。
沼津 (寮はあの辺かなぁという感じで公園の外を見る)
さやか あ~、それでなんか感傷に浸っちゃってる感じだったんですね?
五島 あら、そんな風に見えた?
さやか ちょっと暗かったように見えたので心配しちゃいました。先生も「終末論」って本読んだりしてませんよね?(笑う)
五島 (半笑いで)なにそれ?
さやか いえ、うちの彼氏が……いえ、なんでもないです。
沼津 (また仕事に身を入れ出す)
さやか あ、座っていいですか?
五島 ええ、どうぞ。(詰めて座る)

   さやか、犬のリードをベンチの手すりにくくりつける。

五島 かわいいワンちゃんね。
さやか ありがとうございます。
五島 名前はなんていうの?
さやか チャーリーです。
五島 男の子ね。
沼津 (寄ってくる犬にシッシッとする)
さやか (座って)先生は、最近どうですか?
五島 まぁ、元気よ。あなたのワンちゃんほどではないけど。
さやか (笑う)いやぁ、懐かしいなぁ。世界史の射場先生って、まだ学校に残ってます?
五島 あぁ、射場先生なら、まだいるわよ。
さやか あの先生真面目な顔して、ギャグ入れてくるからなぁ。「いやん、パガン」とか。(笑う)
五島 ちょっとよくわからない……。
さやか え? ビルマのパガン朝。
五島 ちょっとよくわからない……。わたし、英語だから……。
さやか あ、そうですよね。ごめんなさい。

   間。

五島 ギャグかぁ。

   間。  

さやか ギャグでお悩みですか?
五島 (慌てて)いえいえ。
さやか なにか考えてあげましょうか?
五島 いいのいいの。
さやか 英語のギャグって難しいなぁ。

   間。
   沼津も剪定の手を止めて考える。チャーリーを見て、なにかを思いつき、いいかけようとする。

五島 それより、大学はどうだったの?
沼津 (タイミングを逃す)
さやか いや~、楽しかったですよ! 充実してました。
五島 それはよかった。
さやか 先生覚えてないかもしれないけど、あたしが進路で迷ってたときに、「困ったら、一番楽しく通えそうなところ選んだら」っていわれて、それで第一志望に決めたところに受かったんですよ。
五島 そうなの?
沼津 (また仕事に戻っている)
さやか いやぁ、正解でしたよ。
五島 へぇ~。
さやか 彼氏を選ぶときもそうすればよかったなぁ。自分が楽しもうとするんじゃなくて、楽しませてあげようとしちゃったからなぁ。そうだ、先生。久しぶりに悩み相談させてください。
五島 いいわよ。恋愛の悩み?
さやか 洗脳の解けた男性とどう接していけばいいですか?

   間。

五島 洗脳というのは……(いい発音で)mind controlという意味?
さやか は、はい。
五島 それは……あなたの色気と魅力でメロメロだった男性が、ある日突然新しい女性にぞっこんになり、あなたに見向きもしなくなったということかしら?
さやか 違います。
五島 ごめんなさい。先生、恋愛のことになると(いい発音で)imaginationが豊富で……(恥じ入る)
さやか え~っと、かいつまんで話すと、あたしが研修旅行に行っている間に彼氏が自分で自分を洗脳しちゃってて、その洗脳を解いてくれたカウンセラーが新しい洗脳をかけてしまったものだから、あたしがその洗脳を解いて、違う洗脳をかけちゃったんです。

   間。
   五島と沼津、しきりにまばたきして考える。

五島 ……それで?
さやか 今は水ばかり飲んでます。

   間。

五島 そう……。(よくわかってない様子で)それは大変ね。
さやか はい。
五島 でも、洗脳はよくないわね。その人らしく生きるのが一番だから。その人がその人らしく、自分は自分らしく、お互いがそうなれる関係性を作りたいわね。
さやか そうですよね……。
沼津 (うなずく)
さやか 人を操作してはいけないですよね。
五島 本当に……。先生もね、今まさにそのようなことを考えていたところなの……。
さやか そうなんですか……?
五島 先生の母親がね、もう76になるんだけど、今年に入ってから老人ホームに入ったの。ちょっと痴呆が始まってきたこともあってね。父が亡くなってから3年一人暮らしだったし、こっちに連れてくることも考えたけど、環境を変えて悪くさせるより、ずっと住み慣れてる地元のほうがいいだろうと、地元のホームに入れさせたの。少し高かったけど、施設も綺麗だし、ちゃんと資格を持っている人が24時間体制で管理してくれてるっていうから。それで、学校の春休みを使って、様子を見に行ったんだけど、職員の人たちが母を子供のように扱っているのを見て、もういたたまれなくなって……。
沼津 (話に聞き入り、庭木を変な形に切ってしまったことに気づき慌てる)   
五島 そのことについてちょっと文句もいったんだけど、マニュアル的な対応しか返ってこないし、彼らは本当に人というものを知らないまま、資格のために勉強してきたのよね、きっと。
沼津 (切り落としてしまった枝を幹巻き用の麻テープで繋げてみる)
五島 認知症って、確かに子供に帰っていくようにも見えるわ。大人になってから半世紀以上、自分のためよりも家族や付き合いのある人たちのために生きてきて、ようやく全ての重荷を今下ろして……。誰かを見て、誰かのために生きるのではなく、自分の見える景色だけを見て生き始める……。それは選択であり、特権なのよ。でも、彼らは病気だとしか見てないし、哀れな老人としてしか見てない。母の生き様をまったく知らない人たちに、子供扱いされるのはたまらないわ。あの人たちによって子供にされるのは嫌。わたしの尊厳を守ってほしい。そんな気持ちが伝わってきたの……。だから……わたし、教員を辞めて、実家に帰ろうかと思ってるの……。

   短い沈黙。

さやか そうなんですか……。
五島 残りの人生、最後に手に入れた特権を行使して、好きなように生きてほしいのよ。
沼津 (涙をこらえる。そして実家の両親に思いを馳せる)
さやか 先生も、ずっと生徒たちのために頑張ってきたんですからね。先生も好きなようにしたらいいと思います。

   間。

五島 ありがとう。

   沼津も、なにかいいたげだが、言い出せない。
   すっきりした表情の五島。
   沼津が、なにか思い立って、用具も置いてどこかへ行く。

五島 (ほっと一息つき)ここであなたに会えてよかったわ。
さやか あたしもです。
五島 じゃあ、先生帰るわね。
さやか あ、そこまで送ります。
五島 そぉ? 嬉しいわ。
さやか ちょっと待ってください。あ、チャーリーのヤツ寝てる。(リードをほどく)   
五島 彼氏とのお付き合いはどのくらいなの?
さやか 2年半くらいですかね。なんか、付き合うほどに軟弱になっていっちゃって。   
五島 あなたはっきり物事いうほうだから、萎縮しちゃって、自分で考える力が弱くなったんじゃないの?
さやか あ~、そうかもしれないですね。(チャーリーをだっこする)
五島 褒めてあげなきゃ。
さやか そうですね~。じゃあ、これから職探しするみたいなんで、見つかったら褒めてあげようかな。
五島 見つかる前から褒めてあげなきゃ。
さやか うわぁ、面倒くさいなぁ。

   と話しながら去っていく。

   沼津、お茶と紅茶の350mlペットボトルを三本持って小走りで戻ってくる。
   誰もいないベンチを見る。
   ゆっくりベンチに座って、ペットボトルを並べる。空を見上げる。
   携帯を取り出し、少し躊躇したのち、電話をかける。

沼津 あ、お母ちゃん? おれおれ。オレオレ詐欺じゃないって。哲ばい。元気にしとっと? いや、なんもなか。なんもなかばいって。

   そこに、五島と別れたさやかがやってくる。

沼津 あ。

   沼津、慌ててペットボトルを一つ取り、さやかに差し出す。

さやか え?

   立ち止まるさやか。目と目が合う。

さやか ごめんなさい、彼氏いるので。

   さやか、会釈して通り過ぎる。その瞬間、チャーリーが沼津の足を噛む。

沼津 いてっ!

   そそくさと去るさやか。
   呆然とたたずむ沼津。
   またベンチに座り、携帯を耳に当てる。

沼津 お母ちゃん。おれ、家に帰るとばい。

   幕。

 

 

 

 

 

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